世界経済は固定相場を目指す!?

今から40年前の1971年8月、
ニクソン米大統領が突然のタイミングで金とドルの交換を停止した。
1オンス=35㌦の公定価格で金と結びつくドルに、各国通貨があらかじめ決められた
交換比率(平価)でペッグするという、(米ニューハンプシャー州の保養地の名を冠した)
「ブレトンウッズ体制」が崩れた瞬間だった。

ニクソン大統領の表明以降、従来の交換比率は通用しなくなった。
しかし主要10ヶ国は、長く馴染んだ固定相場の修復を目指した。
各国通貨の平価を決め直す場所に選ばれたのが、
ワシントンの観光名所であったスミソニアン博物館だった。

議長のコナリー米財務長官は日本に対して18%の円の切り上げを求めた。
ところが、水田三喜男蔵相は17%未満に拘った。
「17%は昭和初期に金本位制に復帰した際の切り上げ率で、日本には不吉な数字。
不況になり金本位制を復帰を決めた井上準之助蔵相は暗殺された」
という、論理にならない論法だった。

かくして1971年12月、
実は参加国中で最大の切り上げ幅・16.88%の切り上げ率の1㌦=308円が決定される。
しかしニクソン大統領が「ブレトンウッズにも匹敵する合意」と自画自賛した
スミソニアン体制は1年もたたないうちになし崩し的に崩壊していった。
そして1973年3月までに主要通貨は変動相場制に移行していくことになる。

そのスミソニアン合意では、「許容する為替相場の変動幅を平価の上下2.25%に広げる」
ことも合意されている。
しかし西独、仏、イタリアなどの欧州6ヶ国は仲間内で、
「互いの通貨の変動幅をその半分にする」ことで合意している。
「トンネルの中のへび」と言われるユーロのルーツである。

1973年の変動相場制に移行して以降、通貨の値段が上下動するようになり、
必然的にリスクヘッジや投機の動機も生まれる。
変動制移行が通貨先物取引の拡大等、世界経済の「金融化」を進めていくことになった。
英・国際経済学者スーザン・ストレンジが強調するがごとく、
変動制移行は「カジノ資本主義」の元凶だったことは否定できない。

地続きの欧州各国が、為替変動や両替の面倒を避けて「究極の固定相場制」である
単一通貨を選択したのは、ある意味で理に適っている。
ただ「固定相場制」「国境を越えた自由な資本移動 」「各国の金融政策の独立」が
同時になり立たないのが現在の世界経済の実態ではある。

ユーロの金融政策はフランクフルトにある欧州中央銀行(ECB)に一本化され、
ギリシャ、スペイン、ポルトガルなどの国々が、独並みの低金利で資金を調達できる
ようになり、バブルや財政規律の緩みが生じる結果となった。

現在の欧州動乱の元凶は、やはり変動相場制移行にあった。
混乱は簡単には収まりそうにない。
ユーロ消滅か、などと、ユーロ資産そのものが消えてなくなるかの如くの表現をされ
始めている。

しかし近代経済の一連の流れを復習してみれば、近い将来消えゆく通貨は日本の円であり、
ユーロが漫然と死を待つことはあり得ない。
日本の円が消えゆく可能性については後日、論述したいと思っているが、
とりあえずは冷静に対処したい局面である。