国際空港・成田は必要だったのか
10月21日、
羽田空港の4本目の滑走路と新しい国際線ターミナルが開業した。
10月末からは32年振りに本格的に国際定期便も復活し、国際的なハブ(拠点)空港に向け、
第一歩を踏み出すことになった。羽田の国際線網は17路線。
ただ一方で、韓国・仁川空港など、海外のハブ空港との競争も激化する。
1966年4月、日本政府は、成田に国際空港を建設することを正式に決定する。
そして1978年5月、成田国際空港が完成する。
その間の約12年、当時は学生運動の最盛期で、学生を絡めた地元の農民と政府の間で、
世に言う「三里塚闘争」が繰り広げられた。
なぜ成田だったのか。
日本政府の主張した論理は、結局は(利権がらみの)ご都合主義の空論だった。
結果論から言えば、都心から至便の羽田を拡張すればいいだけの話だった。
成田に決定された理由、それは「まずは利権ありき」の政治力学だった。
青っぽい論理を展開し続けた学生運動を支持するつもりはない。
しかし「代々の農地を守ろう」と必死に闘った成田界隈の農民の方々の苦労・苦悩は
当時も十分理解していたし、論理的に正しかったと思う。
日本政府当局のやり方が強引に過ぎたのは否めない。
「成田である必然性」は全くなかった。
自分は外資系金融機関に勤務したこともあって、海外渡航の機会も多く、
頻繁に成田を利用した。
しかし、都心から成田までは特急で1時間超、待ち時間等を入れれば1時間半の行程。
そして深夜便がなく、到着が深夜になれば成田周辺で一泊せざるを得ない状況は、
(国際都市・東京の玄関としても)どう考えても不合理だった。
羽田の整備と航空ビジネスの転換は時期を同じにして起きている。
「日本国民を飛行機に乗せてやっている」という慇懃無礼なスタンスで、
「乗客を鶏小屋仕様に詰め込む」ことを平気でしながら、
高額な運賃を要求してきた日本航空は既に瀕死の状態である。
世界的にグローバル化が進む現在は、単なる交通機関としての航空ビジネスである。
格安運賃が常識になり始めている世界の航空業界では、戦後の日本航空の採った
殿様商売ができるはずもない。
羽田と成田と違い。当然ながらアクセスである。
東京モノレールでJR浜松町駅から、そして京浜急行で品川駅から、最速13分で接続する。
成田も京成電鉄「スカイアクセス」開通で、日暮里駅間を36分に短縮したが、
運行頻度を考えれば、羽田優位は歴然。
バスでも東京駅発で羽田が25分、成田とは80分。まず問題にならない。
現在の住まいする佃界隈からは、
日に日にデカくなる東京スカイツリーの雄姿が見ることができる。
そして羽田空港での離着陸も手に取るように見える。
手の届く距離に国際空港がある。まるで夢のようである。
世界的な禁煙ブームで海外旅行は避けてきたが、
成田からでなく、羽田から海外に行けるなら再度考えてみるか、という気になっている。
