「ミセス・ワタナベ」その後
8月1日、外国為替証拠金取引の上限倍率を50倍とする規制が実施された。
「過度の投機的取引」を防止するために出された規制である。
21世紀になってタケノコのように排出した関連業者は、
この2年で急激に自然淘汰されている。
それはバブル時代に栄華を極めた消費者金融(=サラ金)が、20世紀後半から、
監督庁による数々の規制により、業界全体が壊滅していったのと同じである。
元々外国為替取引は、銀行だけが取扱いのできる高度な取引のはずだった。
ところが自由化の大波に乗って、“誰にでも簡単にできる”取引として拡大していった。
「株式投資は是とし、先物と名のつく取引は極悪」とする日本の風土において、
銀行が扱ってきた正当な取引と位置付けられ、「株式と先物の中間」として
個人の為替取引は認知されるに至っている。
勿論、そうした一連の位置付けは単なる“こじつけ”にしか過ぎない。
自分が現場の最前線にいた時代、そして現在でも、少数とは言え友人の一部から、
「まだそんな“危ない”仕事をしているのか」などといった言い方をされる場合もある。
そういう当人は株式投資をしているにも関わらずである。
株式だろうが先物だろうが、為替取引だろうが、市場に対峙しリスクをとることには
変わりはない。
市場という概念を“捻じ曲げて醸成してきた”のが日本だった。
そうした一連の感覚が、IT時代の進捗により一気に様変わりしたのである。
最近のコンピュータの進歩は“凄い”というしかない。
一般家庭の食卓に居ながら、金融機関のディーリングルームと全く同様の情報を
得ることができ、世界の市場と取引が可能になっている。
パチンコにのめり込むよりは、またはキッチンドランカーになるよりは、
「世界の市場と知恵比べするのが正しいに決まっている」という論理だった。
確かに正論ではある。
そうした“安易な正論”の中で拡大していったのが為替の個人取引だった。
2005年から急拡大した背景には、
「円売り・外貨買いをしていれば勝てる」時代だったことも大きい。
経済の基礎知識もないまま、相場情報を解釈することもなく、テクニカル分析をすることもなく、
ただひたすら外貨を買っていればよかった。
ただそうした安易な状況は、リーマン・ショックで一気に暗転する。
市場は残酷である。数字だけの世界に現実感はない。
相場が大暴落して大損をするとは「ビルの屋上から札をばらまく」のと同じなのである。
その論理を現実として体感することになった。
その反省からか、世の中には種々の自動売買ソフトがあふれ、
そして遅まきながらテクニカル手法の研究も盛んになり始めている。
ただ大同小異のアルゴリズムを使用する自動売買ソフトに欠陥も多く、
その欠陥をつく研究もまた盛んである。いわゆる“いたちごっこ”である。
そして古今東西に存在する、種々のテクニカル手法の研究も盛んになった。
但し、勝率10割のパーフェクトな手法はあり得ない。
いつの日からか自分は、日本のギャン理論における第一人者と言われてきたが、
間違いないのは、時代の変遷と共に進化し続ける市場という“怪物”と対峙するには、
「付け焼刃の知識では対峙できない」ということである。
入り込んだら益々“奥が深くなっていく(ように実感せざるを得ない)”相場の世界では、
相場の基礎知識は勿論、経済の基礎知識や、情報を読み取る能力等、種々の基礎能力が
要求される。そして負けを最小にし、総合点で勝利するための、「既存の手法の改善」や
「既存の手法の複合手法」を生み出す戦いは永遠に続けていかねばならない。
とは言え、100年に1回の大変動の中で、内外の機関投資家や輸出入業者、
そしてヘッジファンドと並ぶ世界の外為市場の主要参加者とまで言われるようになった
ミセス・ワタナベ(日本の主婦層中心の市場参加者)は実にしぶとかった。
研鑽と(特に惨敗の)経験を重ねて、レベルが数段上がったのは間違いない。
大手業者・外為ドットコム総合研究所に拠る「外為白書」に拠れば、
上限が50倍になってもミセス・ワタナベはビクともしないという。
考えてみれば、大正時代の米騒動も主婦層が中心だった。
日本経済がドロ沼にはまって久しく、政局も混迷を深めているが、
そうしたザワザワした環境の中で、
日本の主婦層はますます逞しく、賢くなっていくようである。
