「W杯日本16強」の検証

ワールド・カップ(W杯)なるイベントを意識し始めたのはいつの頃からだったろうか。
それは多分、外資系金融の最前線にいた1980年代前半、W杯の試合がライブでTV中継
される頃からだったと思う。
W杯がいつから始まるかなど全く興味さえなかったが、「サッカーを見るから休暇をくれ」と、
欧州系の担当者が相次いで“職場放棄”することから、W杯が始まったことを知った。
アホか、サッカーごときに何で休暇をとらないかんのだ、とマジで思った。

自分の出た、受験、受験で追いまくる、受験校としては全国にもその名を知れた高校が、
なぜかサッカーだけは、常連校とは言えないまでも、複数回全国大会に出場し、
驚くことにベスト8にまで進出した戦歴があることを聞いていたから尚更、
マイナーなスポーツとの意識が強かった。
「この受験オンリーの(予備校的)高校が全国大会ベスト8って??ウソだろ」ってな
感じだった。根底的に“マイナー感”が染みついていた。

1970年代に奥寺康彦が独・ブンデスリーグに移籍し、日本人初の快挙と騒がれた。
その活躍を伝えんと、当時はマイナー局の代名詞だった東京12チャンネル(現テレビ東京)
が「ダイアモンドサッカー」というタイトルの番組を流していた。
1週間遅れの45分程度のダイジェスト版だったと思うが、画像も鮮明でなく、”マイナー感”を
増幅していた。
サッカーをしに、わざわざ独へ渡るなんてご苦労なこった、などと、今から考えれば随分と
アナクロな考え方をしていたように思う。

元々サッカーは日本には馴染みの薄いスポーツだった(と思う)。
英独仏を除けば、「欧州の弱小国や中南米の後進国中心のスポーツ」とのイメージが
強かった。4年に1回のワールド・カップ(W杯)も、日本は全く無縁だった。

サッカー王国と呼ばれる中南米のブラジルやアルゼンチン、欧州の強豪と言われる
スペインやポルトガルも「国家財政に問題あり」とされる国々ばかり。
そして最近ではアフリカの国々が強豪国の仲間入りしているが、その国々も状況は同じ。

サッカーはボールひとつさえあれば、世界中の路地裏で一人でできるスポーツである。
そしてそれがチーム競技につながっていく。
他のスポーツも同様に“一人相撲”から始まり、チーム競技となっていくが、
例えば野球にしても、ボールから始まって、グローブやバットも必要である。

これまで幾度となく「国家財政とサッカーの隆盛」というテーマで語られてはきた。
しかし「貧乏国ほどサッカーは強い」という論理は、歴史的に正論なのである。
「なぜサッカーが新興国に盛んなのか」とういう命題に対する答は、
「経済弱小国が、サッカーを通して経済大国を打ち負かすことができる」からである。
サッカーの国際試合は模擬の戦争である。
過去にはサッカー試合の裁定を巡って実際の戦争も起きている。

しかし幸か不幸か、日本はそうした環境にはなかった。
第二次戦後、経済大国にのし上がった日本には「江戸の敵を長崎で」といったニュアンスを
サッカーに求めてこなかった。それは米国も同じ、と言うより全く必要がなかった。

その意味では、日本のサッカーが世界に通用しなかったのは当たり前なのかもしれない。
1930年の第一回大会からすべてのW杯に出場し、今回の南アフリカ大会まで92戦5度の
優勝を誇るブラジルと、98年のフランス大会で初出場を果たし、過去3大会で10戦しかして
いない日本とでは、経験値や考え方の開きは余りに大きい。

確かに「今を生きる選手に過去は関係ない」という見方もある。
ブラジルにもW杯初出場の選手がいる。
「初」という点では五分と五分だから引け目を感じる必要はないと。
しかし国としての歴史(記憶)の蓄積は、最後の最後に必ず出る。
それがサッカーというスポーツの根源のように思う。だから国全体が熱狂するのである。

今回の大会前、日本代表チームが掲げた「4強」の目標が“愚者の夢”のように語られた。
その“逆境”チームの16強進出は、世界を驚かせるには至らずとも、日本国民に驚きと
喜びをもって迎えられた。

大きな原因は、日本代表チームが、これまで“日本らしいor日本伝統”と言われ続けて
きた“蹴球(しゅうきゅう)の世界”から抜け出したからだと思う。
平安時代の貴族の遊びであった蹴鞠(けまり)の流れを汲む「パス・サッカー」から、
それが窮余の一策(=ヤケクソ)であったにしろ、脱皮しよう試み、
全く偶然にも成功したからである。

W杯サッカーは“(優雅な)蹴鞠の世界”ではない。
極端に言えば体を張って戦う“戦争”である。
日本の敵地での16強入りは、「4強が夢でない」ことを証明した。
今回の南アフリカ大会は、日本サッカーの“大きな転換点”であったように思う。