スーパーという名の不況業種
日本全国のスーパーの売上高(全店ベース)は、2008年に前年比5%減で14兆円を割り込み、
5年連続の前年割れとなった。
スーパーは1930年代に米国で生まれたとされている。
「(市場を超えるという意味の)スーパーマーケット」が、日本で「スーパー」と呼ばれるようになった。
元々はチェーンストア(セルフサービス方式による多店舗)の意味である。
1929年に始まった世界大恐慌の時代、買い物客が陳列棚から自由に商品を取り出し、それを
レジで清算する方式、いわゆるセルフサービスの店がスーパーの始まりだったとされている。
少ない従業員で売り場を運営できるため、必然的に商品の価格を安価にすることが可能になり、
そのシステムが世界に広がっていった。
日本で初めてのスーパーは、テレビ放送が開始される1953年(昭和28年)の紀ノ国屋(東京・港区)
とされている。
店舗面積は約130平方メートルで、現在のコンビニエンスストア(コンビニ)を一回り大きくしたような
ものだった。
1950年代、そうした米国の新方式を学ぼうと、呉服店、衣料品店、食料品店などを営んでいた
先進的な経営者が米国に視察に行き、米国式のシステムを日本に持ち込んだ。
それがダイエーであり、イトーヨーカ堂であり、イオンだった。
1960年代、高度成長時代の大量生産・大量販売の流れに沿って、日本にスーパーは完全に根付き、
小売業を代表する業態になっていった。
外来のものを日本的に作り変えるのは日本の特技だった。
1970年代「規模の経済」が代名詞になり、「大量の仕入れによる販売価格を引き下げる」システムが
定着し、低価格販売は市場を席捲し始め、(共存共栄を旨とする)一般市中の商店街の小売店を
徐々に駆逐していった。
そして1980年代に入り、特に1985年のプラザ合意以降は日本にバブル経済が起き、
生活水準の上昇と共に消費者の嗜好も多様化、隆盛を誇ったスーパーの品揃えでは満足できない
状態になっていった。
また1990年代後半以降、日本各地に新幹線(東北・上越・九州新幹線など)が次々に完成して
いったことも、スーパーの衰退を促す結果になった。
「2時間以内で最新流行のものを買える場所(東京、博多等の地域の中心地)に行ける」のは
ある種の流通革命だった。
朝7時に自宅を出発、開店前にカフェなどで朝食を摂り、思う存分買物散策をし、晩ご飯を
少々おしゃれなレストランでし、午後7時の列車に乗れば9時には自宅に帰りつく。
由緒正しき、簡単で健康な若者の生活パターンになったのである。
2011年のデジタル化(=アナログ停波)の影響は、一連のスーパーの業態に大きな影響を与える
のは必至である。
鮮度が命の生鮮食料品はともかく、鮮度には関係のない衣料品・家具・電化製品がバーチャルな
画面上で購入される時代が本格化する。
こうした時代の流れに沿って総合スーパーは益々巨大化、地域のテーマパークにまでなる時代と
なっている。
しかし、いくら巨大化しても、肝心の問題はコンテンツ(=中身)である。
世界の数ある優秀なコンテンツに日本のスーパーが対抗できるか否か。
結論的には「総合スーパーの生きる道は限定的」と言わざるを得ないのである。
