開港30周年を迎えた成田国際空港
5月20日、成田国際空港は開港30周年を迎えた。
成田国際空港は佐藤栄作内閣による建設決定直後から、
日本の憲政史上おける最大の汚点、あるいは、まず利権ありきの日本型政治システムの
象徴としてその名を残すことになっている。
そして成田国際空港建設を巡る、今や伝説となり始めている「70年代の三里塚闘争」と
呼ばれる学生をも絡めた大衆運動(=建設反対運動)も、完全に陳腐化している。
「体制と民衆」という本来から対立し易い構図が、
戦後の日本で最大規模に弾けた希有にして熾烈なガチンコ勝負も、
時間の経過と共に忘れ去られようとしている。
1970年代は、第二次大戦後のベビーブームを起因として、日本史上最大の規模で
「大学生という名の若者が溢れた」時代であった。
その若者の余りある、行きどころのないエネルギーが、体制という名の権力に向かって
爆発したがっていた。
そこに(たまたま)成田国際空港建設というテーマができた。
第二次世界大戦後、奇跡と言われた日本経済の更なる成長のためには、
世界的に通用する大規模な国際空港が必要であるという必然的な理由があってしても、
「所詮は体制」という論理で反対したのである。
現在では団塊の世代と一括りにされるそうした学生群の大半は、体制と名のつくもの
全てに対して否定的だった。
というより、否定的であることに自己満足する傾向にあった。
だからそのテーマが、私利私欲に走る(ように見えた)政治に向けられた。
従って、その対象が成田国際空港でなくてもよかった。
要は、成田国際空港建設に対する反対運動は、体制に反発する姿勢を見せるための
格好のテーマになっただけであった。
当初の日本政府の思惑では、成田国際空港は世界有数の大空港になるはずだった。
滑走路は大中小、五本も取り揃え、休みなく日本と世界を結ぶ玄関となるはずだった。
だから(世界の有名空港システムから乖離した)都心から特急で1時間もかかる不便性も
我慢せよとの“体制側”の論理を貫き通した。
しかし現在の成田国際空港は、徐々に大型化する最新鋭機に対応できず、
その最大の目的も果たせないでいる。
そして現在に至り、「成田は本当に必要だったのか」という、
全く逆の論理が先行し始めている。
「(埋め立てでいくらでも必要な土地が確保できる)羽田で十分ではないか」として、
現実に羽田空港の拡張工事が進められている。
そして2008年に入って日本政府は、空港への外資規制を固執するスタンスを明確に
し始めている。
空港に(大々的に)外資が入ってくれば、当然ながら成田は否定される。
単純に考えれば「利便性のない空港に何等メリットはない」とする、
外資型切り捨てを怖れているにしか見えない。
かくして日本の高度成長時代の一大テーマとなった成田国際空港は、
世界的なグローバル化の波が強烈に押し寄せる中で、「時代の遺産」になり始めている。
