能登半島地震
サクラ前線が頓着される3月25日(日)午前10時前。
テレビ画面に「能登地方に震度6の地震」のテロップが流れた。
能登半島に至近の富山県の寒村に生まれた自分は目を疑った。
「はぁ?能登に地震?」
「まさか?大したことはなかろう」と、最初は高を括っていた。
石川さゆり「能登半島」や森昌子「越冬つばめ」に表象されるが如く、
常に”ウラ寂れた”という形容詞を当てはめられる北陸の寒村は、
例年の如く遅いサクラが咲く、”何もない春”になるはずだった。
そして「能登は地震にも永遠に縁がないはず」だった。
気象庁の発表に拠れば、以下のようになっている。
3月25日午前9時42分、輪島市、七尾市、穴水町で震度6強を観測。
震源地は能登半島沖の深さ11㌔の海底。マグニチュードは6.9。
石川県で震度6強の地震は観測史上初めて。
晴れた日の富山湾からは、目の前に能登半島が眺望できる。
従って、富山の人間には「海イコール能登」のイメージも定着している。
能登半島は、昭和30年代に松本清張”ゼロの焦点”の舞台になった頃から観光色が濃くなったが、
元々は石川県民と富山県民の、手頃な観光地だった。
能登は、石川県民は勿論、富山県民の”日帰り”のドライブ&デートコースだった。
北陸自動車道が完成してからは、免許取立ての若い女性にとっては、最初にして絶好の”試し運転”
コースとなっていった。
そして2006年の能登空港開港を期に、能登+七尾・和倉温泉をベースとした全国区の観光地にしよう
と目論んだ直後の大地震だった。
今回多数の家屋崩壊が伝えられる輪島市門前町は、曹洞宗の名刹(めいさつ)総持寺の、
文字通りの門前町である。
ここ数百年、地震には全くの無縁のエリアであり、耐震化は勿論進んでいない。
従って築30年超の瓦葺・木造家屋が、ほとんどボロのように無残になぎ倒された。
輪島は朝市や輪島塗りなどで有名だが、能登地方は観光以外にさしたる産業もなく、
過疎化も極端に進み、70歳超のジイちゃんバアちゃんの世界が出来上がっている。
従って、今回の地震から回復するには、予想以上に時間がかかる可能性がある。
災害があった場合、回復には被害に遭った者の”何クソ”というエネルギーが必要である。
老齢化が進む今の能登にそうした”ヤケクソのエネルギー”が残っているのか。
今回の能登地震は、実家の目の前の”手が届きそうなムコウ”の話である。
これが実家方面であったらと思うとゾッとする。
電話が通じない”恐怖の時間”も初めて経験した。
幸運にも実家方面では然したる被害もなかったが、母親1人が実家に住む現在の環境を
今更ながら思い直させられた。
自然のチカラは相変わらず怖ろしい。
世界経済がどうの、為替がどうのという前に、大自然の前では人間は全くの無力なのである。
