2010年08月28日

超円高再来はニッポン崩壊の序章か

8月24日の為替市場で円は83円台突入、円高、円高と日本中が騒いでいる。
確かに80円割れの可能性を秘める流れではある。
とは言っても、ここにきての85円台から5円ばかり円高になるだけの話ではある。

80円割れの円=70円台の円とは、1995年4月19日の79.75円、
ラフに言えば1㌦=80円になった局面を指す。

大局的に最大の円高リスクを考えてみたい。
戦後、米財務省の指示によって1㌦=360円と定められた。
なぜ「360という数字」が出てきたかは諸説あるが、
ギャン理論を取り入れたとする説が有力である。
「相場は宇宙」
「相場の展開は360度の円で考えれば解り易い」
とするギャンの論法が取り入れられたとされている。

とすれば、360円から始まった円の大きな節目は、素数の「1,2,3,5」で考えれば解り易い。
360÷2=180円。
360円÷3=120円。
360円÷5=72円。

日本が変動相場制に移行し、東京外為市場が始まるのは1973年。
以来約37年、確かに180円や120円は大きな節目となってきた。
そして次なる大きな節目は72円、ということになる。

日本の現政権、民主党政権には専門家(相場のプロ)がいないどころか、
今回の円高局面を軽視しているようにさえ見える。
菅首相は「断固たる措置を採る」と言っているが、“断固たる措置”って一体何だ??

久し振りに聞いた“(百年一日、日本政府伝統の)紋切り型”の言い様に、
クスッと笑ってしまった。
超デフレの日本で、内需拡大だ、市場介入だと騒いでみても、
さしたる効果は期待できないんじゃありませんか?菅首相!!

ただ1980年代以降、円高局面を何度もくぐり抜けてきた大企業(大手製造業、商社等)は
無力ではない。
無策の日本政府にとうに見切りをつけている。

明確に言えば、「必要な生産拠点の海外移転」がほぼ終了している。
言葉を変えれば、円高によって損失が出ないどころか利益が出る態勢が出来上がっている。
円高によって、日本国内の輸出関連企業は損失が発生、結果的に、日本国の税収が減る
という流れにはなる。
ただ企業側は、日本国内の損失は海外拠点での利益でチャラにする。
至極簡単でシンプルなシステムである。

こうして考えていけば、今回の円高・株安はある程度は自然の流れではある。
円高によって日本の産業の空洞化の進捗、特に地方の空洞化が進む。
イコール日本の税収減、イコール日本株安である。
そして残念ながら、日本の産業の空洞化によって、雇用の拡大はあり得ない。
最近、菅首相が口を酸っぱくして叫んでいる、新卒者の雇用も同様である。

今や隆盛を極める自動売買システムも、日本の円高に寄与しているのも間違いない。
ドルも怪しい、ユーロも怪しい、といった世界的な通貨不安の中で、
自動売買のアルゴリズムが、先進国で唯一の無策の(=とりたてて何もしないorできない)
日本の円がマイナス点が少ない(=表面的な欠点データが少ない)から買わせているだけの話。
市場関係者が「日本に魅力を感じているわけではない」のである。

こうした状況下で、目標値の72円に向かって70円台に入った途端、
円が一気に売られる可能性を秘めている。
大きなテーマは、
「1㌦=70円時代に、日本国内にしか拠点を持たない企業は生き残れない」。
それは日本国全体の衰退を意味する。
イコール日本の円の衰退、というシナリオである。

民主党代表選を巡って、日本の政界がガタついている。
今のニッポンに“血みどろの覇権争い”をしている暇などあるのか??
今回の円高局面、ニッポン崩壊の序章に見えて仕方がないのである。

2010年08月22日

ほんのちょっぴり秋の気配

8月21日の土曜日。
いろんなことがありました。日記調で書いてみます。

まず午後1時からの夏の高校野球決勝戦。
沖縄・興南VS神奈川・東海大相模。
終わってみれば13対1で、沖縄・興南高校の圧勝。
春・夏連覇の偉業。沖縄の皆さん、本当にオメデトウ!!

ひ・ふ・みという、一回聞けば絶対に覚えらる名前の東海大相模の一二三投手。
連戦の疲れがアリアリ。緊張が抜けた途端、滅多打ちされたが、これは致し方ない。

一方、優勝投手となった興南・島袋は、投手として小柄な173㌢。
とにかく後ろ姿が細い。
炎天下の連投(51イニング・783球)で、日に日に頬がこけていった。
その無駄な脂肪が一切ないように見える容貌は、かっての日本軍隊仕様。

その細身の体を捩じって投げるトルネード投法は、早実の斎藤祐樹バージョン。
これからの進路を巡り、やいのやいのと煩いだろうが、さてプロではどうかな。
高校の先生向きと思うが、さて…

かくして夏の高校野球が終われば、夏も終わり、のはず…
以下は同日に起きた(悲惨な)笑い話。
自室のエアコンが、突然ポロポロ泣き出した(!?)
詳しく言えば、水漏れ状態になってしまった。
残された酷暑の日々、一体どうしたものかと途方にくれたが、ガタガタやっているうちに、
ひょっと原因を発見した。
ゴム管に水がたまり、それが逆流していた。それだけのこと。
よくぞここまで、と思うくらい、ドバッと水が出て、それでおしまい。
要は便秘症状だったというわけ。めでたし、メデタシ。

そして7:30PMからのNHK「思い出のメロディ」。
スポーツ番組もないことから、まぁいいや、って見出したが、
ところがどっこい、さすがは天下のNHK。
夏の紅白歌合戦かと思えるくらいの豪華メンバー。

出てくる歌手、およびその持ち歌は、当然ながら昭和の時代のもの。
昔美人だった、昔はアイドルだった歌手のオンパレード。
飲みながら見ていたら、気がついたら自然に一緒に歌ってた。
(自慢じゃないが)ゼ~ンブ歌えた。

特に「霧の中の少女」の久保浩や、「みずいろの雨」の八神純子、
「雪が降る」のアダモ、「愛燦々」の小椋佳などなど…
また熊倉一雄の「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌は、生で始めて聞いた。
“ジス・イズ・ザ・ベテラン”って味がタップリ。ある種感動した。

目立たなかったが、中村雅俊が耳に調整機のようなものを入れ、音程も微妙に
狂っていたように思ったが、長男の薬物使用事件が後を引いているんだろうか…
余計なことだが少々気になった。

かくして“夏はお・わ・り”のイベントが続き、あと1週間もすれば9月。
同日の隅田川沿いは、秋風らしき涼風が吹いておりました。
少々涼しくなれば、高校生と思しきカップルのいちゃいちゃ模様も目につきます。
そんなことしてる暇はないだろ?受験じゃないのか?
オス・メス仕様の若いカップルは、もはや猛然と作業に熱中って、次第でありました。

かくして、2010年の夏も終盤戦。
ホッとするような、少々寂しいような、なんか複雑な気持ちであります。


2010年08月21日

無策ニッポン、恒例・円高の夏

ここ10年、1㌦=100円以下の動きが続き、
1973年から始まった自由変動相場制の中で、20世紀中に日本で醸成されてきた、
「(日本的言い方の)円高の概念」が曖昧になってはいる。

ただ「8月の円高」、もう少し専門的に言えば「8月の円高・ドル安の流れ」が
恒例になっている。
8月1ヶ月の動きをみると、円高に振れたのが過去30年で19回、過去20年では15回、
この10年に限定すれば8回。
要は21世紀に入って以降、「8月になれば円高になる」というのが定説になり始めている。

大きな要因として説明されてきたのが以下の2点。
「8月は米国債の償還額が多く、国内の機関投資家が償還・利払いで得たドルを、
 円に換えて還流させ易い土壌にある」
「市場の主役である海外勢が長期の夏休みに入り、日本でもお盆休みが絡むことから、
 市場全体が手薄になり、少しのインパクトで市場が動き易い」。

一方で、市場の波乱要因が8月に起きることが多かったのも事実である。
古くは71年のニクソンショック。
97年にはアジア通貨危機が深刻化。
98年にはロシア金融危機が起きている。
近くでは2007年8月、米住宅ローン問題(=サブプライム問題)が深刻化している。

1㌦=85円という数字に慣れてしまい、
ごくごく自然に80円割れの可能性が出ている現状において、
「円高・他国通貨安」という意味を考えてみたい。

ここにきて米国および欧州の金融緩和策が目立っている。
その狙いは、論理的には「デフレ防止」と「金融不安封じ込め」である。
しかし根底にあるのは「自国通貨安による外需の拡大」と見て間違いない。

例えば米・オバマ政権。目指すのは、個人消費から外需と設備投資に軸足を移す
「ニューミックス(新しい組み合わせ)」。
5年間の輸出倍増計画はその象徴だが、「金融緩和+ドル安」はニューミックス達成の
政策手段である。

ではなぜ日本が狙われ、円高になる(=日本が買われる)のか。
いまや日本の政界は、派閥間の主導権争い、総裁(代表)下ろしから始まり、
挙句の果ての離党、除名、新党結成など、“何でもあり”の権力争いが延々と続けられている。
そして日本国民は、半ばあきれながらもその争いを楽しんでいる。
日本経済、引いては経済を率先して先導すべき政府当局や、
国民すらも末期的症状を呈している。

海外の論調は強烈である。
「金融政策に根幹の考え方がない」
「参院選で与野党逆転したが、9月の民主党代表選もあり、新たな政策が出る可能性は皆無」
「先進国で最大の巨額の財政赤字を抱えているが、ここ3年でパンクする可能性は少ない」

本来なら政策不在は「売り」材料。
米欧が動き始めても、(良く言えば)泰然自若・動かざる日本、
(有体に客観的に言えば)米欧に追随できない日本(=日本円)は、
ある種の“安全パイ”には違いない。

ただこうした無策の日本政府に対し、ニッポンの大企業は「もう日本国政府には頼まない」
とばかり、生産や設備投資の海外シフトを加速させている。
表面的には困る困る!と連呼しつつも、超円高どころか、メガ円高、実は大歓迎!
といったところが本音であろう。

80円割れ近し。
と言うと、大概の方々が「エエッツ!」と驚かれるが、
現状から5円ばかりの円高・ドル安になればいいだけの話。
その表面的な数字に驚くだけだけでなく、その意味を少し丁寧に、
かつ正確に理解したいものである。

2010年08月15日

地域の活性化って何だろう

全国的にお盆。
日本の一大イベントにつき、今は実家におります。
台風一過、スカーンと晴れた日々が続くと思いきや、突然の豪雨があったりして、
家に居座ざるを得ない日々が続いております。

そして余りに刺激が少ない環境の中、TVは24時間つけっぱなし状態。
その中で、夏の高校野球は唯一の救い。
特に14日の早稲田実業と中京大中京の古豪校同志の対戦を楽しみにしておりました。
結果は21対6という、予想外のスコアで早稲田実業の勝利。

緊迫した接戦を予想していただけに、余りに大味の試合経過に完全に気抜け。
甲子園に響き渡るワセダ伝統の「紺碧の空」や「コンバットマーチ」の連発で、
ワセダ出身の自分としては随分と元気付けられました。
が、最後には中京側が少々気の毒になりました。
元々は六大学野球・神宮球場仕様の、応援曲としては日本を代表する曲。
あれを高校野球でやられたら相手はビビるにきまってる、なんて考えてました。

前置きが長くなりましたが、さて本題。
ここ5年、ひたすら寂れ行くだけの実家周辺の状況に危機を感じ、
これじゃいかんと、有志を募って、再生化運動を起こして参りました。
当初はサッパリ。
ところが、今年に入って、近所の旧家が国指定登録文化財に指定されて以降、
どこから来られるのか、有象無象の意味不明な団体がガンガン押し寄せる状態に。

結果論から言えば、
衰退化を止められれば“何でもいいじゃん”ってことにはなります。
が、全く関係のない人間がワイワイ来られてもなぁ、って状態。
勿論、地元全体に壊滅的な閉塞感あり、きっかけがあればそれを機会に、ってことには
なりますが、関係のない方々が面白半分に来られても、後が知れております。

やるなら最初からキッチリやれよ、ってな怒りにも似た気分。
将来的な展望がないまま、きれいごとのオンパレードでは、
結局はいつもの(暇つぶしの)“飲み会”仕様で終わってしまいまする。

この地方独特の“口は出すけどカネは...”ってな状態は不変。
この5年、マクロ経済をベースに、地域活性化という大きなテーマに向かって試行錯誤を
繰り返してして参りましたが、万策尽きてのギブアップ状態。

母親などは、何でもいいから賑やかになればいい、とは申しております。
が、夏の花火のようにドカンと打ち上げ、パッと消えていくような状態ではなぁ、
といった悲観的な状況ばかりが目に浮かんでまいります。

JR駅前にある、若者に人気(と言われている)焼き鳥屋で旧友との待ち合わせ。
安くて、美味くて、足の便もよいと評判の、その焼き鳥屋は、
アルコールを飲み始めの若者で、満員の盛況。
お盆という時期もあり、予約を入れなければ入れないんだとか…

地元にこんなバリバリの若者がいたのか、と思わせる状況であります。
多少アルコールが入ってテンションも上がり、各自が思いっきりシャウトされております。
オーダーも、デカイ声でシャウトしなければなかなか通らない状況。
この街に、こんな場所もあるんだと、その他の飲み屋との“格差に”愕然。

こうした元気な若者は地方には居つかないんだろうな、という悲観論の一方で、
“置いて行かれた大人たち”が、何かいいことないかと探し回る状態に、
今後の地元の状況を見るような気がしております。

地域の活性化って一体何だろう。
本当に活性化のためには一体どうしたらいいんだろう。
地元の“本当の大人”の方々は、
「いつものこと。そのうちキッチリ収まる。ほっとけ!」と至極冷静に申されます。

市長でもなく、何らその責を負う立場にもない、一介の金融アナリストの自分ではありますが、
今更ながらその難しさを感じております。


2010年08月07日

「ミセス・ワタナベ」その後

8月1日、外国為替証拠金取引の上限倍率を50倍とする規制が実施された。
「過度の投機的取引」を防止するために出された規制である。

21世紀になってタケノコのように排出した関連業者は、
この2年で急激に自然淘汰されている。
それはバブル時代に栄華を極めた消費者金融(=サラ金)が、20世紀後半から、
監督庁による数々の規制により、業界全体が壊滅していったのと同じである。

元々外国為替取引は、銀行だけが取扱いのできる高度な取引のはずだった。
ところが自由化の大波に乗って、“誰にでも簡単にできる”取引として拡大していった。
「株式投資は是とし、先物と名のつく取引は極悪」とする日本の風土において、
銀行が扱ってきた正当な取引と位置付けられ、「株式と先物の中間」として
個人の為替取引は認知されるに至っている。

勿論、そうした一連の位置付けは単なる“こじつけ”にしか過ぎない。
自分が現場の最前線にいた時代、そして現在でも、少数とは言え友人の一部から、
「まだそんな“危ない”仕事をしているのか」などといった言い方をされる場合もある。
そういう当人は株式投資をしているにも関わらずである。
株式だろうが先物だろうが、為替取引だろうが、市場に対峙しリスクをとることには
変わりはない。

市場という概念を“捻じ曲げて醸成してきた”のが日本だった。
そうした一連の感覚が、IT時代の進捗により一気に様変わりしたのである。
最近のコンピュータの進歩は“凄い”というしかない。
一般家庭の食卓に居ながら、金融機関のディーリングルームと全く同様の情報を
得ることができ、世界の市場と取引が可能になっている。

パチンコにのめり込むよりは、またはキッチンドランカーになるよりは、
「世界の市場と知恵比べするのが正しいに決まっている」という論理だった。
確かに正論ではある。
そうした“安易な正論”の中で拡大していったのが為替の個人取引だった。

2005年から急拡大した背景には、
「円売り・外貨買いをしていれば勝てる」時代だったことも大きい。
経済の基礎知識もないまま、相場情報を解釈することもなく、テクニカル分析をすることもなく、
ただひたすら外貨を買っていればよかった。

ただそうした安易な状況は、リーマン・ショックで一気に暗転する。
市場は残酷である。数字だけの世界に現実感はない。
相場が大暴落して大損をするとは「ビルの屋上から札をばらまく」のと同じなのである。
その論理を現実として体感することになった。

その反省からか、世の中には種々の自動売買ソフトがあふれ、
そして遅まきながらテクニカル手法の研究も盛んになり始めている。
ただ大同小異のアルゴリズムを使用する自動売買ソフトに欠陥も多く、
その欠陥をつく研究もまた盛んである。いわゆる“いたちごっこ”である。

そして古今東西に存在する、種々のテクニカル手法の研究も盛んになった。
但し、勝率10割のパーフェクトな手法はあり得ない。
いつの日からか自分は、日本のギャン理論における第一人者と言われてきたが、
間違いないのは、時代の変遷と共に進化し続ける市場という“怪物”と対峙するには、
「付け焼刃の知識では対峙できない」ということである。

入り込んだら益々“奥が深くなっていく(ように実感せざるを得ない)”相場の世界では、
相場の基礎知識は勿論、経済の基礎知識や、情報を読み取る能力等、種々の基礎能力が
要求される。そして負けを最小にし、総合点で勝利するための、「既存の手法の改善」や
「既存の手法の複合手法」を生み出す戦いは永遠に続けていかねばならない。

とは言え、100年に1回の大変動の中で、内外の機関投資家や輸出入業者、
そしてヘッジファンドと並ぶ世界の外為市場の主要参加者とまで言われるようになった
ミセス・ワタナベ(日本の主婦層中心の市場参加者)は実にしぶとかった。
研鑽と(特に惨敗の)経験を重ねて、レベルが数段上がったのは間違いない。

大手業者・外為ドットコム総合研究所に拠る「外為白書」に拠れば、
上限が50倍になってもミセス・ワタナベはビクともしないという。
考えてみれば、大正時代の米騒動も主婦層が中心だった。
日本経済がドロ沼にはまって久しく、政局も混迷を深めているが、
そうしたザワザワした環境の中で、
日本の主婦層はますます逞しく、賢くなっていくようである。


2010年08月01日

紀元2030年の日常生活

日本の夏って、こんなに暑かったっけ?というような、酷暑の日々が続いております。
何度も申し上げておりますが、東京の35度とは、街中では40度を超えます。
少々外出しただけで、Tシャツがビショビショになりまする。

こんなクソ暑い中で、31日には恒例の隅田川の花火大会。
この不景気な折、一発につきン十万円とおぼしき花火が誠に景気よく、
ドカン、ドカンと打ち上げられておりました。

“江戸の華”の大花火大会ということで、浴衣姿の若い女性も目立っておりました。
浴衣とはその名の通り寝間着あるいは、風呂上がりに着る着物ではありますが、
多少は気をつけて戴かないと、周囲の人間が暑苦しくてかないません。

まず背丈に合わせた長さにして戴き、襦袢もシッカリつけて戴かないと…
また下駄にも、そしてヘアスタイルにも、少々気をつけて下さいませ。
スキッと着た浴衣姿は日本の夏の風物詩ではありますが、周囲の者に暑苦しさを
感じさせてはどうにもなりませぬ。
銀座のおネェ様方の熟練した浴衣姿を見慣れているせいもありましょうが、
若い女性の皆々様、どうかもう少し勉強なり研究なりをして下さいませ。

ってことで、こんな猛暑の時期、周辺のギラギラした話題ばかりでは余りに暑苦しいので、
少々趣向を変え、これから20年後の2030年の日常生活を想像してみます。

以下の内容は実母との会話によく出る話題。
実母はあり得ないと、大笑い致します。
ただ現代の科学はそこまで進んでいるという話であります。

2030年には実用化すると見られる現時点における研究テーマは、大きく分けて三点。
「医学の進歩=ガン撲滅と再生治療の発達」
「ガソリン時代の終焉と電気自動車(EV)の大々的拡大」
「宇宙旅行」

自他共に認める辛党の自分がこれぞ、と思うのが「電気自動車(EV)の大々的普及」。
自宅の食卓あるいは飲み屋の席からボタンひとつで、玄関前にEVがスタンバイ。
EVに乗り込み、専用マイクで行き先を告げると、ハンドルを握ることなくスイスイと
目的地に到着する。

全地球測位システム(GPS)機能が格段に進歩する結果、渋滞や事故の心配もない。
EVが前後のEVとの距離を測り、一定間隔を保ちながら同じ速度で移動する「車間通信」が
格段に進歩するからであります。

また燃料も、道路から電磁波で送られるため、停車して燃料を補給する手間はない。
ガソリン車のような二酸化炭素の排出の心配もない。
要は「(実際は運転しないが)酔っ払い運転はOK」という具合。

家庭では自動翻訳機つきの「五感通信」仕様の大型画面で世界中の番組が、
日本語で楽しめる。
「五感通信」仕様であるからにして、立体デスプレーで品物を確認でき、
食品は香りが確認できるだけでなく、舌でなめると味も確認できる。
要は、世界中のブランド品や食品を家庭にいながら体感できる、というわけです。

「お~い、お茶」は20世紀の遺産となります。
「人工知能」の発達によって、“絶対に文句の言わない”家庭用ロボットが、
家事全般をこまめにやってくれる。
愚痴をこぼしても飽きずに相手になってくれる。

またロケット技術の発達によって、気楽に宇宙旅行が楽しめる。
パスポートも20世紀の遺産となる。「個人認証技術」も進歩して、
光彩などの生体情報から本人かどうかを正確に判断してくれるからです。

ただ問題がないかと言えば、あるにはある。「科学技術の発展に社会がついていけない」
あるいは「変わりゆく社会に、これまでの科学技術が陳腐化あるいは不必要となる」、
の双方の場合を考えねばならないからであります。

具体例を上げればキリがないのでこのへんで止めておきますが、
「現在の常識は、2030年の常識ではない」。ごくごく当たり前のことですが…
講演会などでは「どの会社の株式を買えばよいか」との質問を必ず受けます。
その答として「2030年の日常生活を考えてみましょうよ」ということにしております。

ただ、科学が急速に進歩し、世の中が驚異的に変化したとしても、
若い女性の着物や浴衣に対するスタンスは変わらないように思いますが…
言い過ぎでしょうか…


2010年07月25日

酷暑な日々

日頃から当ブログにアクセスを戴いている皆様、暑中お見舞い申し上げます。
酷暑な日々、どのようにお過ごしでいらっしゃいましょうか。

7月に入って、ゲリラ的な豪雨な日々から、梅雨が明けた途端の酷暑な日々。
寒いのはある程度は耐えられます。とりあえず着ればいいのだから。
しかし暑いのはどうもにもなりませぬ。

TVなどでは35度とは申しておりますが、コンクリート・ジャングル東京の街中では
かる~く40度を超えております。
そんな亜熱帯・東京で、素っ裸になっても、暑さが軽減されるわけでなし…
しかも湿気を帯びた暑さにはもはや完全にギブアップ。

従ってガンガンにかけた冷房な日々が続くことに相成ります。
昼、夜を問わず冷房をかけたままにしておいた結果、喉をやられてしまいました。
いわゆる夏風邪というやつです。
日頃からハイライトという、タール度17度というアナクロなたばこを愛用していた結果、
喉に集中攻撃をされた格好となり、1週間ばかり痛みが残っておりました。

お陰さま(!?)で、1日30本の飲用が、3日で一箱(1日約6本)の日々が続くことに
相成りました。
ひょっとしたらこのままタバコを止められるかな、などと微かな期待を抱いておりますが、
果たしてどうでしょうか。

このような酷暑な日々ではありますが、東京の繁華街は相変わらずです。
と申しましても、私共の年代にとっては、若者が溢れる渋谷・原宿界隈は、
もはやアンタッチャブル・ゾーンと化しております。
あんな若さだけが取り柄の“何でもあり種族”が闊歩する通りは、
余りに傍若無人で、余りに無軌道で、もはや近付けません。
新宿はアジア系の街と化し、ギリギリの境界線は六本木といったところでしょうか。

結局はここ20年の間に馴染んだ、銀座から築地・月島界隈が生活ゾーンということに
相成ります。
と申しましても、今や国際的な通りとなったJR・有楽町駅前からマロニエ通り、
そして銀座4丁目界隈は完全に“女性の街”と化しております。

この暑いのにバシッと化粧され、隙のない格好をされ、背筋ピンと伸ばして、というより
見方によってはソックリ返るように闊歩されております。

ところで、いつも感じることですが、ストッキングって暑くはないのでしょうか?
また女性特有のブラジャーは、多分汗がたまって痒くなるものと想像しておりますが…
余計な心配でしょうね、多分。

ネクタイをしなくなってもう15年以上になりますか。
ネクタイを常用していた当時、この季節には喉チンコ周辺に汗疹(あせも)ができるのが
常でありました。
人一倍の汗っかき。酷暑の時分も喉元をシッカリ留めてはおりましたが、
あの独特の痒さは、今から考えてもゾッと致します。

また通勤や外出で汗をかいては、ガンガンに利かしたクーラーで乾かすといった
荒業(!?)を繰り返しておりました。あれはほんとに体力を消耗します。
今の自分にそうした体力が残っているかどうか。全く自信はありませぬ。

こんな季節、銀座村のおネェ様方からのご要望にはお応えかねております。
汗をかきかき、何で高い酒を飲みに出かけなきゃいけないのか。
かくして、与えられた仕事を早々に仕上げ、トレーニング以外は極力外出を控え、
“自室で一杯”な日々が続いております。

今年の夏は暑くて長いとか。
アクセスを戴いている皆様、どうかご自愛戴きますよう。



2010年07月17日

「ガッカリ」より「ヤッパリ」

W杯サッカーにまぎれて、何とはなしに参院選挙が終わった。
今回の参院選挙は、参議院の存在価値論議もあり、最初から盛り上がりに欠けていた。

自分の住まいする東京・佃地区には、時折選挙カーは来るものの、
候補者のいわゆる“場立ち”があるでなし、独特の選挙ムードは皆無。
投票に行くには行ったが、結局は誰に入れても、世の中は変わるでなし、
こんなんなら白票を出すのが一番賢い選択かな、などと思ったりもした。

昨年夏の熱狂的な政権交代と、その後の鳩山政権への幻滅。
それが菅首相となり、
人気が一時的に回復した途端の(ミエミエの)“逃げ切り”作戦の大失敗。
一人区は8勝21敗。二人区2人擁立当選はゼロ。タレント候補はほぼ壊滅。
「がっかり」よりは「やっぱり(どうにもアカン)」という展開だった。

09年夏の衆院選挙で民主党は「政権交代」をスローガンに掲げた。
「腐り切った自民政治を壊せ」。
波に乗った民主党は歴史的な大勝利し「政権交代」を実現した。
しかし満を持して発足した鳩山内閣は、
掲げた大目標の「明治維新以来の改革」はなし得ず、
巷間で揶揄されるような“ガラガラポン”状態となった。

民主党二代目の菅政権は、重要法案を軒並み廃案にしながら通常国会を早々に打ち切り、
メディアへの露出も最小限にとどめようとした。
サッカーのロスタイムにボールを回して時間を稼ごうとする“勝ちに入ったチーム”の
ようだった。

それが唐突に「消費税10%」に言及、それも「自民党の提案している意見を参考に」と
したことで、とりたてて何もしなかった自民党に“オウンゴール(自爆点)”を与えた。
消費税発言の評判がよくないとみるや、軽減税率適用や低所得者への還付、
あるいは法人税、所得税、さらには環境税と、演説のたびに“球を散らした”結果だった。

残念ながら、現在の日本の政治の世界は大同小異、どの政党が政権をとろうと、
誰が首相になろうと大きな変化は期待できない。
しかし国際社会は辛辣である。
政権与党や、首相たる人物が、世界の枢機を論じるに値するかどうか、
慎重に見極めようとする。
もはや「日本の首相」というだけで主要国の論議に加われるほど甘くはない。

6月27日、トロントのG20では日本は先進国扱いをされなかった。
日本の代表であるべき菅首相も「世界の首相の輪の中」に入っていけなかった。
先進各国は2013年までに財政赤字を半減し、16年までに税制債務を安定させるという
共通目標を打ち出したが、財政赤字が深刻な日本はその例外にされた。

日本にとって深刻なのは、超高齢化の中で、
「減りゆく国内貯蓄で、膨らむ長期債務を賄えなくなる日がごく近い将来に来る」
という点である。消費税増税をタブー視するほど日本には時間のゆとりがない。

菅首相の失敗は、そうした重要な問題を真正面からぶつかろうとしなかった点である。
たとえダメもとでも、ガツンといけばよかった。
選挙に勝たんがための“逃げ”に終始したことで、また民主独特の“ブレ”と見られて
しまった。

90年代、バブル経済の崩壊と共に語られ始めた「失われた10年」は、
いつの間にか「失われた20年」になってしまっている。
不毛な権力ゲームを繰り返す中で、日本の行く末は暗澹たるものになっている。

さてどうするニッポン。
そんなこというのなら、お前が出てみろよ、と言われそうだが、
先立つ“モノ”もなし、今更権力闘争のドロドロの世界は真っ平ゴメン。

グチャグチャ考えても仕様がない。
自分の与えられた仕事を真面目にコツコツやるのがイチバン、ってことになりそうで…

2010年07月11日

「W杯日本16強」の検証

ワールド・カップ(W杯)なるイベントを意識し始めたのはいつの頃からだったろうか。
それは多分、外資系金融の最前線にいた1980年代前半、W杯の試合がライブでTV中継
される頃からだったと思う。
W杯がいつから始まるかなど全く興味さえなかったが、「サッカーを見るから休暇をくれ」と、
欧州系の担当者が相次いで“職場放棄”することから、W杯が始まったことを知った。
アホか、サッカーごときに何で休暇をとらないかんのだ、とマジで思った。

自分の出た、受験、受験で追いまくる、受験校としては全国にもその名を知れた高校が、
なぜかサッカーだけは、常連校とは言えないまでも、複数回全国大会に出場し、
驚くことにベスト8にまで進出した戦歴があることを聞いていたから尚更、
マイナーなスポーツとの意識が強かった。
「この受験オンリーの(予備校的)高校が全国大会ベスト8って??ウソだろ」ってな
感じだった。根底的に“マイナー感”が染みついていた。

1970年代に奥寺康彦が独・ブンデスリーグに移籍し、日本人初の快挙と騒がれた。
その活躍を伝えんと、当時はマイナー局の代名詞だった東京12チャンネル(現テレビ東京)
が「ダイアモンドサッカー」というタイトルの番組を流していた。
1週間遅れの45分程度のダイジェスト版だったと思うが、画像も鮮明でなく、”マイナー感”を
増幅していた。
サッカーをしに、わざわざ独へ渡るなんてご苦労なこった、などと、今から考えれば随分と
アナクロな考え方をしていたように思う。

元々サッカーは日本には馴染みの薄いスポーツだった(と思う)。
英独仏を除けば、「欧州の弱小国や中南米の後進国中心のスポーツ」とのイメージが
強かった。4年に1回のワールド・カップ(W杯)も、日本は全く無縁だった。

サッカー王国と呼ばれる中南米のブラジルやアルゼンチン、欧州の強豪と言われる
スペインやポルトガルも「国家財政に問題あり」とされる国々ばかり。
そして最近ではアフリカの国々が強豪国の仲間入りしているが、その国々も状況は同じ。

サッカーはボールひとつさえあれば、世界中の路地裏で一人でできるスポーツである。
そしてそれがチーム競技につながっていく。
他のスポーツも同様に“一人相撲”から始まり、チーム競技となっていくが、
例えば野球にしても、ボールから始まって、グローブやバットも必要である。

これまで幾度となく「国家財政とサッカーの隆盛」というテーマで語られてはきた。
しかし「貧乏国ほどサッカーは強い」という論理は、歴史的に正論なのである。
「なぜサッカーが新興国に盛んなのか」とういう命題に対する答は、
「経済弱小国が、サッカーを通して経済大国を打ち負かすことができる」からである。
サッカーの国際試合は模擬の戦争である。
過去にはサッカー試合の裁定を巡って実際の戦争も起きている。

しかし幸か不幸か、日本はそうした環境にはなかった。
第二次戦後、経済大国にのし上がった日本には「江戸の敵を長崎で」といったニュアンスを
サッカーに求めてこなかった。それは米国も同じ、と言うより全く必要がなかった。

その意味では、日本のサッカーが世界に通用しなかったのは当たり前なのかもしれない。
1930年の第一回大会からすべてのW杯に出場し、今回の南アフリカ大会まで92戦5度の
優勝を誇るブラジルと、98年のフランス大会で初出場を果たし、過去3大会で10戦しかして
いない日本とでは、経験値や考え方の開きは余りに大きい。

確かに「今を生きる選手に過去は関係ない」という見方もある。
ブラジルにもW杯初出場の選手がいる。
「初」という点では五分と五分だから引け目を感じる必要はないと。
しかし国としての歴史(記憶)の蓄積は、最後の最後に必ず出る。
それがサッカーというスポーツの根源のように思う。だから国全体が熱狂するのである。

今回の大会前、日本代表チームが掲げた「4強」の目標が“愚者の夢”のように語られた。
その“逆境”チームの16強進出は、世界を驚かせるには至らずとも、日本国民に驚きと
喜びをもって迎えられた。

大きな原因は、日本代表チームが、これまで“日本らしいor日本伝統”と言われ続けて
きた“蹴球(しゅうきゅう)の世界”から抜け出したからだと思う。
平安時代の貴族の遊びであった蹴鞠(けまり)の流れを汲む「パス・サッカー」から、
それが窮余の一策(=ヤケクソ)であったにしろ、脱皮しよう試み、
全く偶然にも成功したからである。

W杯サッカーは“(優雅な)蹴鞠の世界”ではない。
極端に言えば体を張って戦う“戦争”である。
日本の敵地での16強入りは、「4強が夢でない」ことを証明した。
今回の南アフリカ大会は、日本サッカーの“大きな転換点”であったように思う。

2010年07月04日

菅首相の掲げる「夢物語」

“サッカーな日々”を過ごしているうちに、気がつけば7月。
そして11日の参院選挙が近づいている。
何を言ってるんだかガーガーと、ただただ怒鳴りたてるだけの選挙カーが街中を走ってる。
関係者は必死なのだろうけど、集中してものを書いている時など、
イラッとくることもしょっちゅう。だが、それもあと1週間。
さてどの党に“清き一票”を入れるべきか…

考えてみれば、
小鳩(小沢+鳩山)政権の後を受け、満を持して登場した感のある菅直人新政権だった。
とりあえずその所信表明演説を期待した。
しかし全くの期待外れだった。顔を上げることさえしない原稿の棒読みだった。
読むだけだったら誰にだってできる、と思った。

TVのニュースや公開番組などで、各党党首の演説は聞きたくなくても聞こえてくる。
菅首相の演説は、その昔、大学キャンパスで聞いた学生運動家のアジ演説に聞こえて
しようがない。
耳障りは確かにいい。与党の党首として“選挙に勝たん”とする一所懸命さは伝わってくる。
が、一旦中身を吟味し始めると、それが実現性の極めて薄いものであることが分かってくる。
キレイごとの羅列、いわゆる「夢物語」である。

6月27日(日本時間6月28日)、
カナダ・トロントで開催された20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)は、
首脳宣言を採択して閉幕した。
「成長に配慮した財政健全化」との基本原則が打ち出され、先進国については
「2013年までに少なくとも財政赤字を半減させる」との数値目標が明記された。

ただ日本については目標達成を強制しない「例外扱い」とし、財政の大幅悪化を踏まえた
異例の措置がとられた。
国際的にみて財政悪化の度合いが際立ち、健全化を急ぐ欧米から置き去りにされた
格好となった。ロイター通信は
「他の先進国に比べて『質の悪い財政状況』を浮き彫りにした」と伝えている。

日本の2010年度の財政赤字は40兆円を超える。
他の先進国と同様に2013年までの「赤字半減」を実現するには、
20兆円の「歳出カット」か「増税」が必要となる。

仮に消費税で手当てする場合、消費税率1%の引き上げは約2兆5千億円の増収になる。
単純計算で、歳出を増やさず、消費税を8%程度引き上げれば、ようやく先進国並みの
目標を達成できる。

菅首相は、消費税を含む税制改革について「2010年度内に改革案をまとめたい」と公言し、
回りくどい意味不明で曖昧な説明が繰り返されている。
選挙に「増税」という二文字は禁句。
だが、ガツンと響くような明確な説明がなされれば国民は納得する。
(選挙目当ての)恐る恐るの説明では、選挙民を怒らせるだけである。

2008年のリーマン・ショック後、
世界各国は財政・金融政策を総動員し、経済と金融危機を封じ込めた。
ひとまず景気は底入れしたが、民間が抱えたリスクは政府に移転され、
結果的に財政に膨大なツケが残った。

現時点での最大の焦点は「政府債務の信認危機」である。
英独などは矢継ぎ早に財政再建策を打ち出している。
それは市場の狙い撃ちされないための自己防衛である。

各国の対応には市場の監視の目が待ち受ける。
また当然ながら有権者の厳しいチェックも受けなければならない。
先進国で市場や有権者が注視するのは、構造改革を掲げるだけでなく、
それを実行し、新たな成長を切り開いていく力である。

世界の主要国で群を抜く政府債務を抱え、成長のための青写真を描けずにいる日本は、
世界から見放されつつある。
今回の「例外扱い」は、アジアの中心が完全に中国移ってしまったことを如実に示している。

選挙に勝つためには多少の方便やきれいごとなど何でもありなのか。
青臭くて馬鹿馬鹿しい「夢物語」は、聞いているだけで疲れる。


2010年06月26日

サッカーな日々

最近、午後2時を過ぎると決まって、銀座村のおネェさまからの“猫なで声”の
営業TELが入る。
「どうしてますか?」「元気ですか?」
どうしてるかって?? 仕事してるわぃ。
元気かって?? 別に持病持ってるわけでなし、元気に決まっとるわぃ。
「は~い、お陰さまで元気で~す」。

「ここ3ヶ月、顔を見てないから少々気になって…」
「たまには顔をみせてよ」
全員参加の波状攻撃ってか...“ただ”ならオレの顔ぐらい、いくらでも見せてやるわぃ。
「敷居が高くて、恐れ多くて近寄れないよっ!」

こんな具合の、建前と本音の入り混じった実に下らない会話が淡々と続いていきます。
なぜこんなTELが多くなったかと言えば、ご推察の通り、W杯サッカーが今まさに
盛りだからであります。
厚塗りのおネェさま方の顔を見ながら高い酒を飲むより、戦争をも厭わない、
サッカー国際試合のガチンコ勝負を見ている方がよほど面白い。
外に出なければ、余計なカネも使わないし…
これって万人の常識でありまする。

カメルーンに勝利し、オランダには負けたものの、デンマーク戦に勝利して
決勝トーナメント進出を決めたニッポン。
本田圭佑がとってもよい。
ガムシャラな金髪オオカミみたいな容貌がグッド。
あの不埒なギラギラした目つきがとってもグッド。
大阪生まれなのに、金沢・星稜高校を出ているのもグッド。
デンマーク戦での無回転のフリーキックもグッドだったが、
終盤のダメ押し点を入れた時、岡崎慎司に主役を譲った余裕もまたグッド。
高校時代に対戦した相手校の(恋人のいた)マネージャーを略奪、結婚まで持ち込んだ、
そのガムシャラさもとってもグッド。点取り・フォワードはそうじゃなきゃ。

(自分の大嫌いな)中田英寿系のファッションをし出しているのは少々気になるが、
本田圭佑の登場で、草食系・中村俊輔の時代が終わった、って感じがする。
シュンスケはキレイにやろうとし過ぎる。
いかにもフィジカル面で弱そう、って感じ。それじゃ世界に通じないだろう…

海外では自動車メーカー・ホンダになぞらえて、日本の推進力と言われ始めてる。
(同じ星稜高校出身で)MLBロサンゼルス・エンジェルスの55番・マツイがゴジラなら、
ウルフ・本田ってネーミングはどうだろう。グッドだと思うけど…

そして大会前にはあれだけクソミソに酷評され続けた岡田武史監督の評判が、
手のひら返しになっているのも驚き。これも本田が結果を出したからだけど…
良く言えばサッカー一筋、普通に言えばダサいワセダのサッカーマニアにも、
ようやく陽の目が当たってる。
自分の時代のワセダには、ああいう変わったヘンな輩(やから)がウヨウヨいたっけか。
でもホント良かったね、岡ちゃん。

その他、フジの(スポルト担当)本田朋子アナとの結婚間近と言われている長谷部や、
客室乗務員の5歳上の奥さんと別れたばかりの松井(大輔)や、
良く言えば忍者の如く、普通に言えばネズミの如くしつこく動き回る長友や、
フリーキックの職人・遠藤や、鉄壁の守備を誇る中澤+闘莉王のコンビや、
(世間の評判は別にして)自分では今回の日本チームで一番のイケメンと思う
“守護神”川島もいたりして…
前回06年のドイツ大会で、一人舞台を演じ、勝手にガッカリし、
サッサと引退していった中田みたいな“(似非=えせ)ヒーロー”もおらず、
今の日本チームには“何かやる”って雰囲気ムンムン。

ところで今回の大会では、アルゼンチンのメッシーやポルトガルのロナウド等が
騒がれているが、今回の大会の最大のヒーローは、何といっても”ブブゼラ”、だと思う。
あんな“蚊の羽音”に似た音を出す民族楽器は初めて知ったが、とにかくうるさい。
と言いつつ、慣れてしまえば、それはそれで雰囲気が出てる。

ついでに言えば、ヴェルディ川崎の元監督で現解説者の松木安太郎は
“解説界のブブゼラ”と呼ばれているそうな。
解説者と言いながら、途中から完全にサポーターに変身、「解説でない解説をし出す」。
しかし自分としては、彼の”直情型の解説”がとても気に入っている。
ア~だ、ウ~だと確かにうるさいし、あいつ何言ってんだ、と思う時もしょっちゅうだが、
サッカーのガチンコ勝負を見てる!!って感じがするじゃないですか。
そんな気分になるの、自分だけなのかな??

来週は決勝トーナメント。
事前のテストマッチで連敗しながら、「W杯ではベスト・フォーを目標にする」といって
周囲を完全にシラさせてたけど、もしかしたら、もしかする?
かくして、少々エキサイトで、そして疲れまくる“サッカーな日々”が続いていくのであります。
ガンバレ!!ニッポン!!

2010年06月20日

「はさぶさ」の快挙

6月19日(土)夕方5時、食料買い出しにいつものスーパーに出かけた。
雰囲気が何か違っている。言ってみれば年末のような混雑である。
店頭にはパーティ用の詰め合わせが並んでいる。
若いカップルが手押し車に大量の食糧を詰め込んでいる。
そうか、今日はW杯・日本VSオランダ戦か…

6月14日のワールドカップ・サッカー第一戦、日本はカメルーンに勝利した。
「1対0」の薄氷の勝利だったが、アウェイでの歴史的初勝利には違いなかった。
奇跡と呼んでもいいような快挙だった。当然ながらその快挙に日本は沸いた。
マスコミが騒げば“にわか”ファンも増える。これは“日本のいつもの”パターン。

だが欧州の強豪、世界ランク第4位のオランダにはかなわなかった。
守りに守った挙句、結果的には「1対0」での敗戦。
確かに善戦ではある。だが元々簡単に勝てるはずはなかった。
決勝トーナメント進出(ベスト16入り)をかけ、リーグ戦最終戦となる対デンマーク戦は、
またまた日本を挙げて盛り上がるだろう。楽しみには違いない。
しかしサッカーという競技、攻撃と守備が瞬時に入れ替わるから、見ているだけで、
ホント、疲れる。これ本音。

ここ1週間、日本代表チームの活躍に一喜一憂し、サッカー、サッカーの日々だった。
だが、更にレベルの高い快挙を告げるニュースが流れていたのを忘れてはならないと思う。
3億㌔の宇宙を7年かかって往復した和製・小惑星探査機「はやぶさ」である。

最初に「はやぶさ」計画が持ち上がったのは1985年。
そして「はやぶさ」による小惑星のサンプルリターン計画が、
関係者に拠れば半分ハッタリで、計算も根拠もないまま公表されたのが1993年。

探査機の命名に関しては「アトム」が最有力候補だった。
しかし「原子爆弾を想起させる」との意見が出たため「はやぶさ」に変更された。
「獲物に飛びかかり、素早く離脱する」という、
小惑星の表面物質採取・帰還任務の成功を願う気持ちがこめられた。

ただ海外の関係者からは「宇宙探査後進国・日本にできるのか」といった、
冷ややかな目で見られていた。
米NASAは、こうした画期的な計画には10年で1000億円は拠出する。
日本の場合、文字通りケタが違っていた。今回の計画の予算総額210億円。
うち機体の開発・製作費は127億円。日本国民一人当たり約200円弱の出費だった。

惑星探査機は「大きな体にたっぷり燃料を積む」のが通例だったが、
日本の技術陣が開発したのは、「はやぶさ」の看板技術となるイオン・エンジン。
このエンジンはジエット噴射機と比較して積載燃料が約10分の一で済むという。

機体の製作にはNEC・東芝を中心に多数の民間企業が参加、“この場限り”として
企業秘密を明かし合い、長らく未解決だった技術的な問題を克服した。
「はやぶさ」という1.5メートル四方の小さな機体には日本の知恵と技術の粋が
結集されていることになる。

かくして2003年5月9日、
日本の期待をこめた「はやぶさ」は鹿児島県・内之浦基地から打ち上げられた。
そして日本時間2010年6月13日、地球に生還した。
月以外の天体に着陸した探査機が地球に生還するのは世界初の快挙である。

深宇宙(銀河)は60億㌔、時速300㌔の新幹線が114年かかると言われている。
3億㌔の彼方と簡単に言うが、全長500メートルの小惑星「イトカワ」という目標を設定し、
最先端機器を通して電波指令を送り、戻ってくるまで40分かかる距離である。

その「イトカワ」の試料を持ち帰っているかどうかが話題になっているが、
大した問題ではないと思う。
世界に先駆けた技術を、これでもかと世界に見せつけたことがとてつもなく大きい。
技術大国・ニッポンの“誉(ほまれ)”であろう。
そして不況ニッポンに一筋の光明を、というより元気を与えてくれた。

耐熱加工したカプセルを分離後、「はやぶさ」本体は大気圏に突入後燃え尽きた。
「はやぶさ」は与えられた指令に最後の最後まで忠実だった。
どこかアジアの極東の小さな島国の、口先だけの約束をする歴代首相とは大違いだった。
そのせつない、真摯な姿に、昔日の「神風特攻隊」を想起させた。

サッカーどころではないこの歴史的な快挙を、日本中がもう少し真剣に認めてやりたい。
どうもありがとう、そして御苦労さま「はやぶさ」!!


2010年06月13日

「22年に16人の首相誕生」という異常事態の検証

いつの間にか国会中継が、昼下がりの“影の人気番組”になり始めている。
過去の高視聴率番組の再放送や、TVショッピング番組よりはよほど面白い。
官僚が作成したことが一目瞭然の(棒読み)演説の内容はどうかといった、
真面目な意味ではなく、
「誰がどういう野次り方をしているのか」
「閣僚をはじめとして、要人と言われる議員の誰が寝ているのか」などといった、
誠に下らない、不真面目な理由からだが…

6月4日、鳩山由紀夫首相が辞任、菅直人首相が誕生した。
平成になって22年、16人目の首相である。
小泉純一郎首相を除けば、平均在任期間は約1年である。

短期政権が続くのは、
「体制が時代の変化に立ち遅れ、その倫理観と美意識が世の中に受け入れられなくなった」
つまりは体制疲労の表れである。

日本の近代史で同様の現象を起こしているのが、今回を含めて3回。
まずは幕末。黒船が到来する1853年から幕府が機能停止するまで14年半、
老中(大老を含む)に任命されたのは延べで40人超。
任期期間は平均1年2ヶ月。
それ以前の150年間の大老や老中は延べで約130人。平均任期は約6年。

二回目は「1936年の2.26事件以降、1945年の第二次大戦終戦まで」の
いわゆる“戦時体制”である。
ちなみに、明治の内閣制度確立から2.26事件まで50年の間は31の内閣が成立し、
首相になった人物は20人。
そのうち通算在任以下が1年以下は3人だけだった。

第二次世界大戦から10年後の1955年に確立する戦後体制は、
官僚主導で大量生産社会を目指すものだった。
その中で政治家は、年々増加する財源の配分と、官僚規制を、
“ほどよい水準にとどめる”機能を果たせばよかったのである。

ところが平成になって、一連の疑惑事件で政治資金の規制が強化されると、
資金調達力があり、集票組織を養う政治家が悪徳視される一方で、
政党や政治家は政党助成金を中心とした国費で養われるようになっていった。

平成になって22年の間に、唯一の長期政権(1980日)となった小泉純一郎内閣は、
戦後体制を完膚なきまでに破壊すると標榜し、その論理に沿って議会運営や選挙運動
などで実績を残し、独自の人脈と情報網を整備していった。

しかし小泉首相以降の、安倍晋三首相から鳩山由紀夫首相に至る4人の「世襲首相」は、
独自の政権・政策を訴えて国民の間に資金や集票システムを創成することもなく
(またその能力もなく)、「選挙のための顔」としての存在に終始した。

また平成15年以降の自民党・三代の世襲政権、安倍・福田・麻生に至る3内閣は、
表面では「小泉改革の継承」を訴えてはいた。
が、実質的には(あるいは結果的には)、小泉改革とは正反対の、
官僚主導の“熾烈な”規制強化の流れになっていった。
その規制強化に敢然と刃向かったはずの世襲4人目の政権・鳩山民主党政権は、
「政治主導」を訴えはしたものの、官僚主導のシステムを崩せないまま退陣に
追い込まれた。

こうした短命政権が続く場合の共通点は、国の借金が急増することである。
閣僚が各省官僚の資料と説明を丸のみにするからである。
日本の官僚は代々「批判を回避し、権限を保持する」という
官僚共同体というべき強固な組織の中で動いてきた。

戦前の官僚体制が(一旦とはいえ)完全に壊滅したのは1945年の敗戦。
そして壊滅に向かう要因をつくったのは(官僚や軍人を中心にした)1941年の開戦だった。

対外的な孤立と官僚主導が進むという点では、1940年代の様相に似ている。
つまるところ、日本の経済的破滅は間近のように見えるが、さて…


2010年06月06日

「日本買い」に走り始めた経済大国・中国

けだるい雰囲気が漂う、東京・銀座の昼下がり。
銀座村のオネェ様方が闊歩し始めるのは夕方6時過ぎからだが、
その前の午後2時~4時あたりの銀座村の風景が変わり始めている。

JR新橋駅に近い銀座1丁目周辺に大型バスが横付けされる。
そして(昔風に言えば)農協の団体御一行様とおぼしき団体客がドッと降りてくる。
女性を見ていても区別がつかないが、男性の様相で日本人でないことが分かる。
中国人の観光客である。

現在は1㌦=90円の、これも昔風に言えば円高の時代。
銀座周辺での買い物は安かろうはずがない。
普通の日本人なら銀座で買い物など、ウィンドウ・ショッピングが関の山。
ただそうした一団は、有名ブランドショップへと雪崩こんでいく…

5月24日、東証一部上場の大手アパレルメーカー・レナウンは、
中国の繊維大手・山東如意科技集団(山東省)を引受先とする第三者割当増資を7月末に
実施し、同社が筆頭株主になると発表した。
山東如意は毛織物分野の技術力に定評がある繊維大手。
2009年の売上高は約1400億円。

山東如意は発行済み株式の41%を約40億円で取得する。
レナウンの時価総額が大きかった5年前、同様の手法で株式の4割を手に入れるには
約250億円が必要だったが、今回はその六分の一で取得する格好となった。

今から約20年前の1990年、レナウンは、英国を代表する老舗アパレルメーカーの
アクアスキュータムを約200億円で買収した経緯がある。
買収理由としては
「アクア社の伝統技術や職人のワザを国内の自社工場に持ち込めば、他の商品にも
適用できる」だった。

自国の経済成長と共に躍進した企業は、先進国でのM&A(合併・買収)を通じて
グローバル企業に脱皮する。
20年前のレナウンも、今回の山東如意も、描いた青写真は同じだった。
しかしレナウンはアクア社のかじ取りに失敗。
業績は赤字続きで、その後も150億円の追加投資を迫られ、
2009年にはリストラの一環としてアクア社を英国企業に売却している。

山東如意とアクア社を買収した当時のレナウンには他にも共通点がある。
母国経済がバブルの最中にあることである。
現在の中国は、20年前の日本と同様に、海外投資ブームに沸き立っている。

1989年、ソニーが米コロンビア・ピクチャーズを買収、
また同年、三菱地所が米ロックフェラー・グループを買収し、
「日本企業が米国の魂を買い取った」と非難を浴びた。
21世紀に入って、日本の有名企業が中国資本に買収されるという、
逆の立場になってしまっている。

世界の経済大国になった中国が(真綿で首を絞めるように)ジワジワと迫りつつある。
昨年の蘇寧電器集団(南京市)のラオックスの(実質的な)買収のように、
投資対象が企業だけでなく、不動産分野でも中国勢が存在感を示し始めている。
余り目立たないが、既に、北海道や東北では中国企業の温泉宿買収が成約している。
「日本は中国にどう料理されるのか」という恐怖感は否めない。

日本政府は今年7月から、中国人向け個人観光ピザの発行要件を緩和する。
中国人富裕層の観光地として、日本は徐々に浸潤され始めている。
中国人の愛用する「銀聯(ぎんれん)カード」の日本での利用も急増、
2009年の取扱高は前年度比85%増約240億円。

民主党・小鳩政権の終焉で日本全体がガタつき、
今回のレナウンの買収劇は、日本では大きく取り上げられてはいない。
しかし「日本の魂を売った」と大騒ぎになる大型買収が実現するのも、
もはや時間の問題である。

2010年05月30日

世界経済のパラダイムの転換と普天間問題

政治問題を頓着するのは好きではない。
論理もへったくれもない。
必ずカネとドロドロした人間関係が絡み、“生臭い”からである。

今回の普天間問題を巡るスッタモンダも、”典型的日本の政治パターン”となっている。
今後の日米関係をどうするかという以前に、間近に迫った参院選挙への思惑が絡んで
最終結論を出すのに手間取っている。
「国民のための政治」なのか「選挙のための政治」なのか。
“青葉マーク”の民主党政権が右往左往する姿、というよりは、宇宙人と揶揄される
鳩山首相の発言を巡るドタバタは、まるで喜劇である。

ここ5年の(末期的症状の)自民党政権もひどかったが、今から考えればよほど筋が
通っていた。「できないものはできない」とするキッパリ感があった。
理工系出身の鳩山由紀夫首相の思考回路は複雑怪奇で、一般人には理解不可能である。
何が言いたいのか、一体どれが本心なのかサッパリ解らない。

日米安全保障条約が締結されて50年。
日本は米国という“世界の警察”の庇護の元で、表面的には軍隊を持たない国として生きてきた。
仮に日米安全保障条約が破棄されれば、日本の平和は日本国民の手に委ねられることになる。
端的に言えば、“日本は丸裸になる”ということである。

日本の周囲には、世界の無法者と位置付けられる北朝鮮、今や世界の大国にのし上がった
中国が控えている。
そして同盟国(と見える)韓国でさえ、領土問題を巡り、いちゃもんをつけ始めている。
米国の庇護がなくなった場合、
日本はそれら隣国との諸問題を自力で解決していかねばならない。
果たして日本国政府は機能するのだろうか。

現状で冷静に受け止めなければならないのは、
米国に20世紀後半のような全盛時の国力がないこと、そして人口大国・中国の台頭である。
そして困ったことに、日本の産業にとって中国が欠かせない存在になっている点である。

21世紀の日本は、中国抜きの成長戦略は考えられない。
その中国を仮想敵国とする片務的な軍事同盟は時代遅れであるという考え方にも一理ある。
しかし現在の中国が全面的に信頼する状況であるかどうかは、誰が考えても答は同じである。

21世紀に入って、日米関係も希薄化し始めている。
経済停滞による日本の存在感が低下しているからである。
そして中国が世界の経済大国としてのし上がっていくに従い、
あれだけ激しかった日米経済摩擦も、いつの間にか自然消滅している。
米国にとって日本は、もはや頓着するような相手でなくなっている。

ここ50年の日米関係は、まぎれもなく太平洋戦争の戦勝国と敗戦国の主従関係だった。
その50年という長い年月を経て、これまでの関係を改めるには絶好の時期ではある。
とは言え「憲法第9条」を盾に、軍隊を保持することを頑強に拒むのであれば、
日米安全保障条約を”リスクヘッジ”として保持していかねばならない。

「攻められて被害が出てから次の措置を(外交を中心に)考える」とする、
きれいごとの論理、どこかの弱小政党の党首の、まるで女学生のような非現実的な
考え方で日本の国土を守ることは不可能である。
「日米安全保障条約保持」か「(日本が)軍隊を持つ」か。

今回の普天間問題はそのような根底的で重大な問題を含有している。
確かに沖縄県民には”太平洋戦争の最大の被害者”であるという、
消そうとしても消せない”トラウマ”がある。
だが米軍抜きの沖縄経済もまた考え難い。

小手先で済まそうとするから混乱するのである。
21世紀前半、世界経済のパラダイム(理論的枠組み)は完全に転換している。
日本は重大な決意をする時期である。

2010年05月24日

たゆたえど沈まず

外資系金融機関の現場最前線にいた時代、
フランクフルトで、西ドイツ(当時)の現場担当者と酒を酌み交わしたことがある。
「食用ガエル(の足)&(やわらかい)蟹の丸焼き」をつまみに、
火がつくような強いアルコールをビールで薄めて飲むという、
バイキングの末裔そのものの強烈な歓迎を受けた。

なにしろ“敵”は2メートルの大男。
飲みには自信のあった自分がいくら必死になって頑張っても、勝負は最初から見えていた。
遠くなる意識の中で、その大男が何度も繰り返した言葉を今でもはっきり思い出す。
「我がドイツ民族は世界最強である!!」と。

ユーロ創設の原点は、冷戦終結を受けた東西ドイツ統合である。
巨大化するドイツをEUの中にいかにとどめるか。
当時のミッテラン仏大統領の主張を受け、コール独首相が選択したのは
「ドイツの欧州」ではなく「欧州のドイツ」だった。
その証が最強通貨マルクを放棄するユーロ創設だった。

第二次大戦後、欧州統合が順調に進展してきた背景には、
日本と競うように世界の経済大国となったドイツの存在があった。
そのドイツの譲歩は欧州統合の根幹の原動力となり、
結局はドイツの国益にもつながった。

ギリシャの財政不安から始まった欧州金融動乱。
欧州連合(EU)と国際通貨基金(IMF)が、7500億ユーロ(89兆円)の緊急支援を
打ち出し、欧州中央銀行(ECB)が「最後の貸し手」として国債買い入れに動いて、
とりあえず最悪の事態は避けられた。

金融危機への公的資金枠としては2008年の米国(7000億㌦)、
1998年の日本(60兆円)に匹敵する。
今回の欧州金融動乱で、20世紀の経済大国と言われた国々が揃って金融危機を迎え、
公的資金支援を受けることになった。

今後EUは大きな三つの構造問題を解決しなければならない。
第一に金融政策はひとつだが、財政政策はバラバラという構造の改善。
第二にECBの機能強化。危機管理のためには金融監督を含め守備範囲を広げ、
日米英の中央銀行並みの機能を備える必要がある。

そして第三に、非加盟の英国のユーロ加盟である。
キャメロン新首相は5年間はユーロに参加しないことを表明しているが、
サッチャー流の反EU路線はもはや時代遅れである。
EU再結束のカギを握るのは英国の若い連立政権かもしれない。

1999年のユーロ創設から10年。ユーロの伸長は順調だった。
順調過ぎた故に、油断があったのは否めない。
この金融危機を脱するための数々の施策の実現は、口でいうほど簡単ではない。
強烈な試練の時を迎えていることになる。

そして巷間では「ユーロ消滅」も言われ始めている。
マスコミでは「ユーロ資産が消滅する」がごとくの論調だが、
「統合通貨ユーロを廃止し、元々の各国通貨に回帰する」という意味である。

確かに唯我独尊・ドイツが、ギリシャ等の“弱者”を切り捨て、
世界最強と言われたマルクに回帰すれば、問題は一気に解決する。
確たる金融政策もなく、また主たる産業もないまま、役人天国と揶揄される
観光立国・ギリシャの救済に、ドイツ国民のイラつきは至極当然である。

しかし「たゆたえど沈まず」というEUの精神に則って、ドイツは“筋を通す”、
もう少し日本語的に言えば「ドイツは仁義を切る」と思う。
今回の欧州金融動乱は、ある意味で、ドイツの底力を見せつける良い機会のように
見える。

今回の金融動乱をクリアするにはもう少し時間がかかるとは思う。
だが一旦クリアすれば欧州は更に強くなっていく。
そして昨今の日本のグチャグチャの政情不安を見るにつけ、
「本当に危ないのは欧州ではなく、実は日本である」という点を再認識している。


2010年05月16日

欧州金融動乱の本質

銀行、証券、投資会社を問わず、金融界の投資部門と呼ばれる部門の大前提は
「相場で儲ける」ことにある。
利益至上主義の中で、上昇であろうが、下降であろうが「儲かればいい」のである。

有名金融機関になればなるほど「儲からない投資部門」という表現は禁句である。
「儲ける」ためには人の入替も頻繁に行う、先進機器を積極的に取り入れる…
法的に問題がなければ(時には抵触しても)、それこそ「何であり」の世界となる。
そして与えられた最大の使命は「自ら市場を動かして儲ける」。
こうした基本的な考え方に沿って、世界の有名金融機関は競って(短期的に)大量の
資金を市場に投入する。

21世紀に入っての(必要以上の)乱高下は、現場の最前線の30代前半の人間、
特に男性が草食系であることも、市場の動きを激しくさせている。
草食系は自分から積極的に仕掛けることは余りない。
要は(勝ち負けの)責任をとりたがらない。

必然的に、コンピュータ任せの取引スタイルが出来上がった。
種々のデータをきめ細かくインプットし、
「種を蒔く(仕掛ける)のも、刈り取るのも、撤退するのも全てコンピュータ任せ」
というスタイルが全盛となっていったのである。

こうした方式を市場では「アルゴリズム取引」と呼んでいる。
巷間では
「市場に与える影響を抑えて効率的な取引をするためのシステム」と説明されてきたが、
投資部門の考え方に大きな相違があるはずがなく、動き出すと全く同じ方向に動き出し、
結果的には市場の容量を超えた上昇、あるいは下落を呼び込むようになっていった。

アルゴリズムをベースとした投資関連機器は、欠点が見つかった対象には徹底して
仕掛けを入れる。
通常、長期的な見方は必要とされていないし、現在では不可能である。
長期的に見るためには可変的な膨大なデータが必要となってくるからである。
結果、利が薄くとも量で勝負、長期でなく短期で一気に勝負をつけようとする。

ギリシャ国債が売られ始めたのは、欧州中央銀行(ECB)がリーマン・ショック後に
実施した非常時対応の資金供給を絞り出し始めた09年秋からである。
ECBがタップリ供給するユーロ資金を元手に、ギリシャ国債を大量に買っていた米欧の
金融機関、あるいは投資家はハシゴを外される結果となった。

そしてギリシャ財政の粉飾も明らかになっていく。
問題を直視せず、過小評価し、小出しの対応が後手に回った。
バブル崩壊後の日本の不良債権処理のパターンに欧州がはまり込んだ。
これは“誰もが一度は通過しなければならない道”ではある。

長期的に見れば、独仏そして英が中心となった「ユーロは買い」と思う。
だが現状の市場は「買い材料」には反応せず、「売り材料」ばかり敏感に反応する。
下落相場の特徴だが、売りが売りを呼び、長期保有者もロスカットを強いられる状況
になり、また売りを入れる。
これが今回のギリシャ問題を発端とする欧州金融動乱の本質である。

「日本国債は9割以上を国内投資家が保有するから、欧州の問題は日本には関係ない」
との安心感から円が買われている。
重要なことは、「この考え方は決して長期的なものではない」という点である。
超短期に、一時避難的に円が買われているだけでのことである。

現在の日本の政情を考えれば、現状は“つかの間の安息期間”である。
今回の欧州金融動乱が示す課題は、世界中で日本が一番重いのである。


2010年05月08日

若葉の季節

何とはなしに黄金週間も終わった。
これまで“いつまで冬が?”春はいずこ?“といった天候不順の日々が続いたが、
突然のように春が、そして初夏が到来した。
黄金週間の到来と共に、まるで図ったように、ドピーカンの晴天の日となり、
それが1週間も続いた。

ところで、最近の若い方々には、
和様英語のゴールデン・ウィークの、これまた(無理矢理の?)和訳である黄金週間、
と言っても理解してもらえない場合がある。
要は、休みが続く”黄金の日々”であるとの日本語的意味には違いない。
しかし果たしてこの黄金週間は、本当に“黄金の日々”と言えるのだろうか。

以前ほどではなくなったが、列車はどれもこれもほぼ満席。
空いていれば(多少の不便覚悟で)即決、ってことになる。
朝イチはさすがに空いている場合が多いが、休日に朝からバタバタするのもなぁ…
いつも思うことだが、
「休みになれば実家に帰る」という農耕民族独特の不思議な習性(=帰巣本能)は、
日本人のDNAに組み込まれているに違いない、と思うのであります。

自分の場合、日本が休みでも、海外は休みでなく、海外市場は開いている。
従って最小限の用意をしていかねばならない。
結果的に(通称)ガラガラ車のついたカバンを引いて列車に乗り込まねばならない。
実家周辺の駅にエスカレーターがあるはずもなく、ヨッコラショと、これが結構の重労働。

母親などは「たまには頭を空っぽにしてユックリしたら」と言ってはくれるが、
そのためには相応の準備をしていかねばならないのであります、母上様。
特に今年の黄金週間はギリシャ問題が燻り続け、金融市場が大荒れになった。
見慣れた風景、馴染んだ環境にいても、心はロンドン、NY市場であります。

ところで、余り気にもしていなかったが、最近の実家周辺の風景が変わり始めている。
実家の至近距離(約30秒の距離)に不思議な喫茶店がある。
“下手な小説の出だし”の風景描写っぽいが、
寂れた老人の街にある、川沿いの古くて小さなコンクリート2階建て1Fの喫茶店。
ジィちゃん、バァちゃんが恒常的に通うはずもなく、いつ店を閉めてもおかしくない状態。
だが、何気に続いている。

休日などにはその喫茶店、若い女の子の行列ができている。
県内ナンバーは勿論、県外ナンバーの車もあり、
大概が3~4人がお乗りあそばして当地に来られ、
横縦隊になってワィワィとばかりお出ましになる。

「ありゃ一体何だ?」と聞いたら、地元の人間も分からない、という。
事情通に聞いてみると、
その喫茶店の店主が“占い”をし、その占いが当たるのだと言う。
老人の街に若い女の子が来ると、空気が変わる。
(変な趣味はないが)
若い女の子の放つ独特の化粧の匂いや体臭が、老人の街の空気を変える。

都会では当たり前の匂いだが、老人の街と化した実家周辺に3日もいれば、
その独特の匂いにとみに敏感になる。
オオッ~!何かが違う、と敏感に感応する。
哀しき“動物の習性”ではあります。

ところで、女の子が“占い”をしてもらう目的とは何ぞや?
まぁ恋愛が中心だと思うが、所詮は“(命短い)花の時間”。
思う存分、悩んでくださりませ。

かくして黄金週間が終われば若葉の季節。
目に染みる新緑の中で、心も新たに、精一杯頑張りたいと考えております。

2010年05月02日

米経済に復調の兆し

最近、ITベンチャーが主体のプロジェクトに参加して、今更ながらIT(情報技術)の
進捗に驚かされている。
ICコーダで音声を収録しながらライブ画面を作成、メール形式で相手方に送付する。
パーソナル・コンピュータ(PC)を中心に、自室がスタジオに化けてしまった…

これでもかと、怖いくらいの猛スピードで進化を続けるIT機器。
とりあえず目標を3周遅れに置いて、それ以上は離されまいと必死にはなっている。
そんなアナログな自分でも、自作自演の作品を単独で制作できる時代になっている。

こうした驚異的なIT技術の進捗と共に、米経済に復調の兆しが顕著になっている。
4月後半に発表された、マイクロソフトやIBM等の米IT大手1~3月期の純利益の合計は、
前年同期比69%増の149億㌦となり、金融危機の水準を4割近く上回った。

けん引役となったのは企業の情報設備投資の回復。
巷間では、一般企業は勿論、一般個人間でも老朽化したパソコンの買い替えブームが
大きく寄与したと説明している。
半導体最大手のインテルは、売上高が44%増の102億㌦と、1~3月期としては過去最高
を更新。純利益が前年同期3.9倍で、いわゆるV字型回復となっている。

そして高機能携帯電話「iPhone」の好調さも際立っている。
パソコン並みの性能を備えた携帯電話の普及が進み、一連のIT機器を使った業務や
ネット消費は右肩上がりの状態になっている。
発売元のアップルの純利益は前年同期比90%増。

アップルの強みはiPhoneだけではない。
単価の高いパソコン「マック」も台数で33%増。、販売額では27%増。
小型・低価格の「ネットブック」が定着したパソコン市場で、アップルは全方位で
攻勢をかけている。

またインターネット検索大手のヤフーの1~3月期の決算では、
売上高が前年同期比1%増の15億9696万㌦、純利益が2.6倍の3億1019万㌦。
増収増益は8四半期振り。
広告収入が復調した他、米マイクロソフトとの検索・広告事業での提携に伴う収入も
収益を押し上げた格好となった。

ザッと最近の米IT企業の決算状況を述べてみたが、米経済に安心感が出始めたのは、
米自動車の不況が聞かれなくなっているのも大きい。
「トヨタおろし」効果絶大であり、今後のトヨタの業績が上向きになったとしても、
過去の事故に関する“集団訴訟”が待ち受けており、「世界でイチバンになったツケ」は
これから以降、暫時払っていかねばならない。

狩猟民族国家・米国は、「昔ながらの価値観を変えない米国」と
「世界の情報革命をリードして変化する米国」の両面があると言われている。
要は、米国企業は新陳代謝を繰り返しながら「世界」と「変化」を追いかけている。

あくまで私見だが、
今後10年の最大のテーマは「IT」と「電気自動車(EV)」になると考えている。
ガソリンの代わりに太陽電池を使うEVを、
ITで正確無比に動きをコントロールする時代が到来する。
つまり、ボタンひとつで、酔っ払ったままでも目的地に行ける時代の到来である。

20世紀の最終勝利者米国は、世紀が変わって一旦は躓いた。
しかしその米国は、ITを武器に本格復活する日は予想外に近いのかもしれない。


2010年04月24日

政局混乱、立ち往生するニッポン

最近のNYでは、以下のような“強烈な冗談”が流行っているという。
「日本人が鳩山首相のことを“サギ”と言ったら、アメリカ人は“チキン”という。
中国人は“カモ”だと言い、ヨーロッパ人は“アホウドリ”と言う。
本人は“ハト”だと言っているが、本当は“ガン”ではないのか」

日本が立ち往生している。
経済大国の残像にとらわれ、変身をためらい、内にこもったままである。
中国やインドの伸長、しつこいデフレ、少子高齢化に財政不安。
考えれば考えるほど深刻な問題が山積している。

世界の投資家の、現在の日本に対する最大のテーマは
「日本の財政はいつ行き詰まるのか」という点になり始めている。
「債券相場の下落で儲けようする『リスク投資』の対象国」
になってしまっているのである。

郵便貯金の預入限度額が2倍になれば、家計の金融資産が「暗黙の政府保証」に
吸い寄せられる。
そしてその集められた資金は、リスクが小さいが収益性も低い国内の公的事業に回る。
結果、日本国の借金(表面的には現在約1000兆円)が、
家計の金融資産(表面的には1500兆円だが、現実には「?」がつく)を上回る時、
それが「日本の財政が行き詰まる時」になる。

あくまで単純計算だが、年間50兆円の赤字国債を発行し続けたとして、
余裕枠は500兆円、従って正解は「10年後には日本の財政は破綻する」。
つまりは(どんな遅くとも)2020年には日本はギリシャのようになる…

日本は国内総生産(GDP)2位の座を中国に譲る。
世界のGDPに占める割合も1990年の14.3%から2008年には8.8%になった。
国際競争力は90年の第1位から17位に。
航空貨物取扱で、成田は00年の4位から8位に。
港湾インフラで、横浜は94年の10位から29位に。
全てがスパイラルに悪くなり始めている。

1億人の成熟した市場、誇れる技術、そして勤勉さ。
1980年代には世界が驚くような高度成長を遂げた日本だった。

国内にいると総体的な地位の下落に気付きにくい。
日本は世界から完全に取り残されてしまっている。おおよそだが、まずは2周遅れ。
そして世界に打って出る積極姿勢にも欠けている。

日米安全保障条約は今年が50周年。
その記念すべき年に「普天間問題」が暗礁に乗り上げている。
米国側のいらだちは明らかである。
“若葉マーク”の民主党の外交折衝は、門外漢の自分にさえ幼稚に見える。

閣内には“(時代遅れの)女学生”のような非現実的な考え方をする大臣もいたりして、
内閣そのものがチグハグで全く機能していない。
5月に最終結論を出す、と言う。
「そんなことができっこない!」ってことは、国民の大多数が感じている。
仮に日米安全保障条約が破棄されれば、日本は軍事的に全くの丸裸になってしまう。
どうすんだ?誰がニッポンを守るんだ??

結論的に言ってしまえば「世界の中の日本」は、日本では分からない。
世界と生きるための「新たな開国」、それが今の日本に求められる最大のテーマと思う。

そうした「(混乱の)クライマックス」状態の中で、新政党ラッシュ。
「国民新党」「新党日本」「たちあがれ日本」「日本創新党」「新党改革」…
よくよく整理して考えてみなければ、誰がどの党だったか思い浮かばない…

何が何だか、サッパリ解らない。
江戸末期も多分このようなグチャグチャの状況だったのだろう。
(とりあえず)開国は間近だっ!!と(笑って)我慢するしかないのかもしれない。

2010年04月17日

「安定志向」という名の弊害

4月7日、
リクルートが2011年春卒業予定大学生の就職希望ランキングを発表した。
首位はJTBグループ、第二位JR東海(東海旅客鉄道)、
三位JR東日本(東日本旅客鉄道)と旅行・運輸関連企業が続き、
第4位は日本郵政グループ。

今回は特に、不況に強いとされる鉄道会社の人気が目立った。
JR西日本(西日本旅客鉄道)を含むJR三社が20位に入った他、
前年96位の東京地下鉄が65位、昨年は100位圏外だった
小田急電鉄や東京急行電鉄も100位内にランクインしている。

金融関連企業の人気も根強く、三井住友銀行、みずほファイナンシャルグループ、
三菱東京UFJ銀行、東京海上日動火災保険など有名企業もトップテンに入っている。
これを称して巷間では“安定志向が更に強まった”とい言い方で説明している。

ではこの「安定志向」とは、一体どういう意味なのだろうか。
結局は「倒産の可能性が極めて少ない」「リストラの可能性が少ない」
という意味なのだろう。だが本音ベースでは、
「会社にさえ真面目に出ていれば、格段仕事をしなくても給料がもらえる」
に聞こえる。

現在の大学生は、02年からスタートした“ゆとり教育”を受けてきた年代である。
この新しい教育路線は、
「詰め込み教育から解放し、子供の個性と創造力を豊かに育てる」という、
一見すれば何とも理想的な考え方が基本になっている。

この定義の中で、授業時間が劇的に変化した。
例えば小学3年生の国語は、80年度には年間280時間→02年度235時間、
算数は175時間→150時間、社会は105時間→70時間、理科は105時間→70時間。
中学校も同様に大幅に授業時間が減った。

現実を度外視した、空想に近い机上論のもとにスタートしたゆとり教育だったが、
その結果は惨憺たるものになっていったのはご存じの通りである。
OECD(経済協力開発機構)が行う15歳児の学習到達度調査(PISA)で、
日本は各分野で軒並みランキングを落とした。
科学的リテラシーは00年2位→06年6位、読解力8位→15位、
数学的リテラシーは1位→10位。

古来日本の教育は、
「天才こそ生まれ難いが、誰でもが読み書きや計算ができる」といわれてきた。
しかしゆとり教育が始まって、その伝統が崩れ始めた。

そうした状況下で、私立の中高一貫教育への受験熱が高まったのも自然の流れだった。
私立の中高一貫教育を受けるには親の経済力が必要である。
その結果、子供の上位と下位には大きな差が生じ、学力の二極化現象が顕著になった。

結局、“ゆとり”ではなく“ゆるみ”だった。
そしてその“ゆるみ教育”は、知的レベルの低い人間を大量に生み出し、
結果的に日本国は、国の責任として、停職に就くこともできないニート群を
将来に亘って養っていかなければならなくなった。

(信じがたいことだが)最近の文科系の大学生には、
分数のできない、約分や通分のできない学生がいるという。
確かに、「円周率を3」と教える環境は、人間の成長を止めてしまうのかもしれない。
そんな知的レベルの低い若者にもあまねく職を与えるほど、現在の日本は楽ではない。

自分が20代の頃、
「青年は荒野を目指す」という言い方に憧れ、果敢に実行に移していった。
「(極寒の地・南極でもしぶとく生き残った)南極犬・タロー」のようだと揶揄されながら、
周囲の者の多大な迷惑をも顧みず、さながら野良犬のように世界中をうろつき回ってきた。
今から考えれば、甘っちょろい、ノスタルジックでアナクロな考え方だったかもしれない。
しかし「世界の人間に伍して仕事をしてみたい」「世界に通じる勉強をしなければ」という、
真っ赤に燃たぎる気持ちだけはあったと思う。

「100年に1回の大恐慌」と言われ、その煽りで不況の日本では、老いも若きも、
「(格段の努力もしないで)安定した生活を望む」スタンスがごく当たり前になっている。
どこかの女性議員が言い放ったような「イチバンでなきゃいけないんですか?」という
考え方で推移してきた空白の10年のツケは、ゆるみ教育が即座に改善されたとしても、
倍以上の20年かかっても取り返せるかどうか。

ここ2ヶ月、欧州はギリシャの金融危機に揺れまくった。
しかし最近では、米国発で、
「日本はギリシャの二の舞どころか、それ以上の衰退国」と言われ始めている。
日本の置かれた現実を真剣に考える時期である。


2010年04月11日

サクラチル

今年のサクラも終盤である。 
とは言え、今年のサクラの季節は例年とは違ったように思う。
「花冷え」という言い方があるにはあるが、とにかく寒かった。
御殿場では、サクラの季節に17㌢の積雪があったとか…
サクラだか雪だか分かんない、って風景。少々異常である。
都内でも「マフラーしての花見」状態。シャレにもならない。

自分の住まいする隅田川界隈では、4月1日が満開だった(ように思う)
ところが、4月1日深夜から4月2日午前にかけて強風が吹き、3割方が散った。
とは言え、それからは、折からの寒さもあり、10日を過ぎてもしっかり咲き残ってる。
例年のように葉桜にならない。

古来サクラの花は女性に例えられてきた。
その生命力はほんとに凄いと思う。
都会の排ガスにも負けず、強風にも負けず、寒さにも負けず…
なにやら“生きる”“生きよう”という執念を感じさせる。

実社会でも、最近はとみにオンナの強さを感じる。
オトコは、定年退職して、組織の枠、もう少し明確に言えば、
××会社の××部長というタイトルがなくなった(取り上げられた)途端、
「からっきし何もできなくなる」or「しなくなる」。
いうところのインポテンツ(無気力状態)。

結果的に、飲めない酒を無理矢理流し込むものだから、体が悲鳴を上げる。
挙句、持病の悪化→余病併発→入院、という典型的パターンを辿る。
高校時代は超スーパーな成績で、超一流と言われる大学→超一流会社のルートを
辿った者ほどその傾向が強いから始末に負えない。

病(やまい)は気から。
どんだけ優秀な人間も、“(生きようという)気”がなくなると、一気に老ける。
ハゲだろうが、デブだろうが、人から何を言われようが、何でもよくなる…
言動にも躁鬱症状が顕著になり、アイツは一体何を言いたいんだ?
って具合になる。

その点、女性は強いわなぁ…
世の中の動きに全く関係なく、あくまで健康で、あくまで前向きで…
ダンナが退職した途端(!?)、前にも増して肌ツヤが良くなり、キラキラしてる。
何なんだ、あんたたちは…やっぱ化け物か??

巨人・木村拓也コーチがくも膜下出血で急死した。
37歳の若さだった。
Smapの木村拓哉に模され、球場アナウンスでもわざわざ「キムラタクヤ」と
フルネームで呼ばれてた。
最初は何でイチイチフルネームでと、可笑しくもあったが、
終いには「野球選手のキムラタクヤ」に慣れさせられてしまった。

アテネ五輪で活躍もしたが、体格にも恵まれずスーパーサブとしての位置付けで、
総じて地味な選手ではあった。
だが引退した昨年、延長戦で選手不足になり、急遽捕手までやって、投手を除いて
全てのポジションを守ったことでその存在感を示した。

新築なったマツダ・スタジアムでノックをしている最中、突然倒れた。
日ハム→広島→巨人の経歴で、広島での選手生活も長かった。
“役者は舞台の上で死ぬのが本望”という言い方はあるが、
その意味では“晴れ舞台”での死ではあったかもしれない。
「サクラはパッと散るから美しい」。
とは言え、余りに若過ぎた。

戦中の有名な句に
「散るサクラ 残るサクラも 散るサクラ」というのがある。
内容が解れば解るほど、切々とした哀しい気分にさせる。
今年のサクラは、そんな気分にさせるサクラだった。

”黒船襲来”に揺れる日本の出版業界

今からかれこれ3年前、
関係出版社の編集幹部に「21世紀の電子書籍の脅威」について警鐘した。
頭から一笑に付された。
「時代はどうあれ、ごちゃごちゃ策を弄さず、いいものを作れば売れるんですよ」と。

確かに内容の優れたものは時代を超えて読まれている。
たとえば司馬遼太郎の「坂の上の雲」。
文庫本・八部作建てにして1800万部が売れている。
これこそ時代を超えた大ヒット作である。
しかしそういう作品は簡単には生まれない。簡単に生まれないからこそ、
そういう作品を生み出すのが編集者としての醍醐味なのだろうが…

21世紀以降の出版界では、
一方では「(ズブの素人でも)本を書こう」と自費出版を募り、
かたやヒット作を狙うとする、両面作戦の事業モデルが定着した。
多面化経営の一環としての作戦ではある。
確かに、2003~2005年は、ミニバブルの流れに沿って自費出版が流行した。
しかし正直言って自費出版された本を、その作者の身内or関係者以外の者が購入し、
本気になって読もうとするはずもない。
そして不況の折の昨今、数百万円を出して本を出そうという奇特な者が増加するとも
思えない。

出版科学研究所に拠ると、
2009年の書籍の販売金額は8429億円で、ピークの1999年の四分の三。
逆に新刊数は25%増の8万点弱に増加した。
その(粗製乱造の)結果が40%台の返品率だった。

そうした不況に喘ぐ日本の出版業界が、今度は電子化の大波に揺れている。
5月には米アップルが新端末「iPad」を日本でも発売し、
同時に、米アマゾン・ドット・コムも、電子書籍端末「キンドル」の日本語版を
発売する構えである。

端末の進化が書籍の電子化を加速させ、日本の出版社は事業モデルの再考を
迫られる。
ただでさえ不況にあえぐ業界は、本格的な電子時代を生き残れるか。
だが(残念ながら)、出版社の大概が冒頭で説明した通りの考え方である。

日本発の新機軸であれば、日版・東版を中心にした日本の書籍取次大手を中心に
水際で阻止も可能だった。
しかし今回の流れは江戸末期の“(開国を迫った)黒船の到来”である。
江戸幕府が右往左往しても、結局は開国させられた流れに似ている。

外資主導で進む電子書籍の電子化の流れの中で、出版社が恐れているのが、
作家と配信会社が直接契約する「中抜き」。
現在の法律に「中抜き」を防ぐ手立てはない。
レコード会社や放送局は「著作隣接権」と呼ぶ権利を持ち、ネット配信を拒否したり、
対価を請求したりできる。
しかし今の出版社にそうした権利はなく、交渉で決めるしかない。

3月17日、総務省・文部科学省・経済産業省を中心に電子書籍の統一規格を定める
ための懇談会が発足した。
また3月24日、日本電子書籍出版社協会が発足、設立総会には主要出版社31社の
代表が終結した。
他社との連携に消極的だった大手が重い腰を上げたのも中抜きへの危機感からだった。
だが事態は既に“奥深く”進行してしまっている。

現在のところ電子書籍の8割を占めるのは携帯コミック。
確かにコミックが電子化されれば読み易いには違いない。
デジタルマンガ協会(東京・豊島)に拠れば
「出版社を通さずに配信される作品が2009年から激増した」としている。
だが今後は、小説や実用書も、実力のある作家ほど直接配信に傾く可能性は
高いと見られている。

「電子化が進んでも“紙の本”の文化はなくならない」とは思える。
しかし価格の差が広がれば節約志向の消費者は電子書籍に流れる。
過去のしがらみや既得権益を捨てなければ変化する市場には対応できない。
出版界を襲う黒船の到来に日本の出版界はどう対応していくか。
どの業界もそうであろうが、21世紀前半の大きな転換期である。


2010年04月04日

米国再生への尖兵・ビル・ゲイツ

これまでは“(若さからくる)ひ弱さ”を感じさせたオバマ・米国大統領ではあった。
ところがどっこい、極東アジアのどこかの島国の首相と違い、
大見えを切って宣言した計画を着々と実行に移し始めている。

2009年9月、
オバマ大統領は「新しい雇用、企業、産業を育成する」を主旨とした
「米国イノベーション(革新)への戦略」を発表した。
その中で、先進的な環境対応車、安価な太陽電池、次世代バイオ燃料などの
開発費に1000億㌦(約9兆円)の公的資金を投入する宣言している。

発表当初は(日本と同様の選挙対策用の)キレイごとの羅列に見えた計画ではあった。
しかしここ半年の流れを客観的に眺めてみれば、
2008年のリーマン・ショックに端を発する金融危機で、再起不能とも思われる深傷を
負った米国が、新産業創造への国家戦略をベースに、新事業への積極的な取組が
目立ち始めている。

特に環境分野を中心とした成長分野への育成に官民の密接した協調スタンスが目立つ。
世界から流れ込む「知」と「マネー」を原動力に、新分野での起業を促す機運が
米国全体で盛り上がり始め、ここにきてNYダウの堅調さも目立ち始めている。
「アポロ計画」や「情報スーパーハィウェー構想」など、
米国はこれまでも政府の積極関与が新産業創造を促してきた経緯がある。

2009年までに、栄華を誇った自動車王国としての米国は完全に没落し、
同時に、21世紀の最終勝利者としての米国の存在自体が薄れ始めていた。
しかし、2010年に入って徐々に“世界の大国・米国復活”の流れにある。

3月23日の日経朝刊一面に
「ビル・ゲイツ氏、東芝と次世代原発を共同開発」との大見出しが躍った。
ビル・ゲイツ。
米フォーブス誌に拠れば、ゲイツ氏の資産は530億㌦(約5兆円)で世界第二位の大富豪。
2008年にマイクロソフトの経営から退いたゲイツ氏は、資産運用会社を通じ、
鉄道・通信・バイオ・素材などの幅広い企業に資金支援している。

原子力という途方もない世界の話で、門外漢が説明しても仕様がないが、
ゲイツ氏の資金支援する米原子力ベンチャーが開発中の新型炉に、東芝の持つ技術を
融合すれば、核燃料を交換せずに最長100年間の連続運転を実現できるという。

米国の無名のベンチャーの申し出でなく、世界の大富豪、そして20世紀後半の世界を
席巻したマイクロソフトの創始者・ビル・ゲイツが尖兵となっての登場である。
数千億円単位の投資も厭わないとするゲイツ氏の申し出を、東芝側も無下に断るわけに
もいかない。
考えてみるに5兆円の資産があるゲイツ氏にとって数千億円の投資は、我々一般庶民が
50万円程度を出資するようなものかとも思う。
ともかくも、今回の技術提携の申し出は、ビル・ゲイツが東芝の技術力を認めたことに
なり、東芝側にも有形無形の恩恵があるのは否めない。

ゲイツ氏だけではなく、
アマゾン・ドット・コム創業者のジェフ・ベゾス最高経営責任者(CEO)が
宇宙船開発に投資するなど、経営者や投資家が私財を技術開発に投資する流れも
目立っている。
「世界の大国・米国が、国を挙げての再生に向けてのダイナミズム」が感じられる。

トヨタ・ショックに揺れ右往左往する日本。
「ガソリンを効率的に使う車の開発」に血道を上げている(ように見える)トヨタと、
「ガソリンを使わない車の開発」に大々的に動き始め、
2010年がEV(電気自動車)元年と言われる世界の流れに、大きなギャップがある。
米国はEVを最大テーマに、着実に「世界の経済大国再生」に向けて動き始めている。

政治とカネ問題だ、普天間だ、参院選挙だ、新党立ち上げだ、などと、
世界の動きからはどうでもよいことにガタガタし続けるニッポン。
好むと好まざると、日本はまた置いていかれる気配である。
本当に、こんなんでいいのか…

2010年03月28日

球春

「サクラサク」。
この表現の合格電報が初めて登場したのは、約50年前、
早稲田大学だったとされている。
携帯やネットに押され、電報文化は姿を消しつつあるが、
この一文の持つ強さ、美しさに変わりはない。
日本人たるもの、桜の花を頭に思い描くとき、生命の勢いを感じざるを得ない。

東京ではその桜が三分咲きになっております。
桜の開花には違いない。
またサクラの季節の到来、春の到来には違いない。
しかしマフラーをして桜見物でもなかろうて…

サクラの季節の到来と同時に、日本では野球の季節が到来した。
お笑い芸人中心の、くだらない番組ばかり見せつけられてきた“暗黒の季節”の
お・わ・りである。
パリーグだろうが、セリーグだろうが、高校野球だろうが、メジャーだろうが、
とにかく野球なら何でもいい。野球なら…
筋書きのないドラマが始まって、何かホッとしている。

春はセンバツから。
3月21日から始まった選抜高校野球大会。
大会第三日。第三試合に地元代表・高岡商業高校の登場。
相手は、(よりにもよって)
歴代勝利新記録(59勝)を目指す高嶋仁監督率いる智弁・和歌山高校。
スクール・カラーのエンジをベースにした(もろワセダ・スタイルの)ユニフォームの
高岡商業は、氷雨の中の善戦健闘も、6対1の敗戦。
炎天下だろうが、雨中下だろうがベンチの前で仁王立ちする姿が象徴的な高嶋監督に、
歴史的な1勝を献上することになった。

以上が表面的な言い方だが、
“甲子園に出るだけが大目標”の地元チームは、負けるべくて負けたというのが実感。
途中から、「あ~ぁ、またいつものワンパターンか」になり、
しまいには、「テンション上げて応援しても疲れるなぁ~」といった展開になる。

いまや日本の野球は、日本どころか世界を目指せるスポーツになっている。
しかしスポーツ僻地(!?)では、相変わらずの狭い世界を対象にした、
アナクロな(指導者の)考え方が浸透しておりますデス。
目指すものが違うような気がするが、考え過ぎでしょうか…

ところで、大会第二日、22日に行われた一回戦で、対向陽(和歌山)に敗れた
開星(島根)の野々村直通監督の
「21世紀枠のチームに負けるなんて末代までの恥。腹を切りたい」
「やめたい。腹を切りたい。死にたいですね。もう野球を辞めたい」
「こんな恥をかくことは二度としたくない」
といった発言が大問題視されている。

今回21世紀枠で出場した向陽高校の前身は、戦前の伝統校・海草中学。
「あのチームごときに…」と言われる筋合いはない。
がしかし、日本全国の高校野球ファンの中には、この発言に対し、
拍手喝采まではいかなくとも、同感したファンもいたはず。
何を隠そう、その中のひとりが自分でした。

野々村監督の謝罪会見における、
何気に“ミズっぽい”or“その筋っぽい”ファッションが少々気になったが、
勝とう、勝ちたい、勝たせたいという熱血スタイルは現在の高校野球、
引いては日本のスポーツ界全体に一石を投じたと思う。

良い機会なので、東京六大学野球リーグ戦における、
早稲田VS東大戦でのバックネット裏の状況を暴露します。
大体が(神宮)球場がガラガラで、バックネット裏の特等席には余裕で座れます。
で、そこに座ってるのが、たいがいが(暇を持て余した、酒癖の悪い)ワセダOB。
彼らの楽しみは、酔って、ワセダの大勝で憂さを晴らそうとする、不埒の輩(やから)。
試合が始まる前から、ビール、ウィスキー、ポン酒と、何でもあり。

で、ワセダが勝ってるうちはいいが、ヒットを打たれ、一時的にもリードされると、
「お前らアタマで負けて、野球でも負けんのかッ!!」
「馬鹿はもう田舎へ帰れッ!!」
などと罵詈雑言、言いたい放題の世界であります。
それが“アマチュア野球の大本山”と言われる世界の実態であります。

振り返って、“甲子園で楽しく野球をしよう!”とする“きれいごと”のスタンスは、
確かに教育上(高校生レベルではある程度)必要ではあろうが、
選手のレベル向上にはつながらない、と思うのであります。

長々と、かつ小難しく申し上げてきましたが、
とにもかくにもサクラの季節、野球の季節の到来を、心より寿(ことほ)いでおります。

「英国の欧州における立場」の検証

英国は欧州を代表する国のひとつ」と見られている。
だが誇り高き(常に上から目線の)大英帝国は、欧州とは一線を画している。

そしてその英国では、
「欧州統合は英国のためにならない(ユーロ・スケプティシズム=欧州懐疑主義)」
との考え方が依然として根強い。
こうした考え方は、EUの前身で1985年に発足した欧州経済共同体(EEC)への
加盟問題あたりから広がり始め、99年の通貨統合に加わらなかったのもこの考え方が
根幹にある。

また大陸側でも独仏は「英国は欧州ではない」との論調があるのも事実である。
大陸側では、「英国は米国と特別な関係にある」と一定の距離を保つスタンスにあり、
一方英国では「社会民主主義志向の強い大陸には最終的には馴染めない」と標榜する。
双方の根幹の考え方は、縮まりそうでなかなか縮まらない。

60年代初頭に、英国がEEC加盟を最初に希望した際、ドゴール・仏大統領が
「英国は(欧州に影響力を行使しようと米国が差し向けた)トロイの木馬である」
と反対した、という有名な(今では伝説の)話がある。

今回のギリシャ金融不安に関してEUの対応が遅いのは、
頑固一徹・独の「まずはギリシャの自助努力があるべき」との筋論が先行すると同時に、
単一通貨ユーロを扱う世界最大の市場が(表面的にはユーロ圏外にある)英・ロンドンに
あるのも大きい。

世界最大の金融センター・ロンドン市場では、
リーマン・ショック、ドバイ・ショックを経て、財政赤字国の信用力に過剰なまでに
敏感になっている。
ドーバー海峡を隔てた大陸側では、今回の流れを
「英米関係者が(関係ないところで)過剰に騒ぎ、市場をグチャグチャにしている」
と批判的である。

今回のユーロを巡るドタンバッタンを見て、英国では
「だからユーロに加盟しなくて正解だった」との論調が先行している。
だがその英国も、財政赤字への不安から英ポンドも“叩き売り”状態になっており、
英国経済自体も盤石ではない。

97年に就任したブレア前首相は、政権発足直後にユーロ加入を検討したが、
身内の労働党からも反対が起こり挫折した。
6月までに実施する英総選挙では接戦になりそうだが、
キャメロン党首率いる保守党が13年振りに政権を奪還するとの見方が大勢。
保守党は(伝統的に)欧州統合には慎重なスタンスにある。

2008年の米国を中心にしたリーマン・ショックが21世紀前半の第一次危機、
今回のギリシャ問題に端を発する2010年・欧州混乱が第二次危機と位置付けられ、
ある意味で「歴史的な場面」に遭遇していることにはなる。

巷間では「欧州なのに欧州ではない」と見られる英国は、「本当にアジアの一員なのか」
と懐疑的に見られている日本と同じ立場にあると言われる。
しかし“友愛主義”という曖昧な看板を掲げつつ、現実的には米国傘下にあることで、
今や世界の経済大国にのし上がった中国にも距離を置かれ、結局は右往左往するばかり
の日本が、英国のような誇り高い国であるわけがない。
日本が「欧州の英国である」と標榜するのは、英国に失礼千万の話かもしれない。

ごく近い将来、今回の欧州混乱は収束する。
その時、英国はどう反応するのか。
誇り高い英国の対応が、けだし見ものである。

2010年03月21日

「ユーロのガタつき」その後

東京外為市場で2月のユーロの対ドル取引での売買高が、円を上回った。
ギリシャの財政不安が大きな関心を集めたことが主たる要因だが、
1999年にユーロが発足して以来初めてのことである。

日銀の集計によると、2月の1日あたりの売買高は円・ドル取引は74億1000万㌦で、
09年ピーク時の約7割。
一方ユーロ・ドルの取引は75億8800万㌦。
集計額は東京市場の銀行間での現物の売買高。
これにユーロ円取引等を合算すれば、ユーロ絡みの取引は従来のドル円取引の
1.5倍にはなっていると思われる。

東京外為市場は、全通貨の現物売買で、ロンドン、ニューヨーク、シンガポールに
次いで第4位に陥落している。
日本の金融機関は、都市銀行を中心にした吸収・合併の嵐、
また地方銀行は外為市場に参入できない状態で、
日本の個人投資家の頑張りはあるものの、地盤沈下は自然の流れではある。

ユーロはここ1か月、1ユーロ=1.3550㌦近辺を何度もトライしたが、
どうしても下抜け切れない状況が続いている。
(あくまで私的な感想だが)同レベルでのユーロ買いがあまりにしつこく、
表面化してはいないものの、“介入”臭い感じもする展開となっている。

最近の短期売買はコンピュータが自動発信するシステムとなっており、
前もってインプットしたデータが異常な感度で反応する。
それが市場を予想以上に荒っぽくしている。
EU(欧州連合)当局は、
そうした30歳代前半グループの“(コンピュータ主導の)何でもあり”のやり方に、
暗黙のうちに警告を発しているようにも見える。

ただEUも“市場を仕切る”だけではなく、具体的な施策を掲げ始めている。
ユーロ圏16ヶ国は15日夜(日本時間16日未明)の財務相会合で、
財政危機の直面するギリシャの資金繰り難に備えた支援策で基本合意した。
ユーロを導入する各国が、緊急時に2国間でギリシャに融資する仕組みと見られる。

またメルケル独首相と、フィヨン仏首相は、
欧州域内版の通貨基金、「欧州通貨基金(EMF)」創設で合意した。
ユーロ圏の財務相会合も支持を表明している。
EMFはフランスが提唱したものの、ドイツの反対でお蔵入りした経緯がある。

通貨はひとつで金融政策は欧州中央銀行(ECB)に一本化しているが、
財政政策はバラバラという、歪な通貨制度の矛盾が火を噴き、
巨額の財政赤字を抱える他の南欧諸国に飛び火しそうな気配になっていた。

ただ一連の流れは、EU全体の気持ちの緩みを是正し、結束を固めるという意味では
将来的には好結果につながるに違いない。
誇り高きバイキングの末裔を小馬鹿にすれば、3倍返しでその“仕返し”を受ける。

それにしてもコンピュータを中心に、
データに敏感に反応し過ぎるシステムに依存する現状の金融界は、どこか歪である。
「闇雲の大量の資金で瞬時に市場を崩壊し、儲けをむしり取る」とする
いわゆる“リーマン的手法”には(当然ながら)限界があると思う。

いずれにしても「困った時の円買い」に流れ、
結果的にいわれのない円高になっている現在の状態は、
近い将来“大ドンデン返し”に遭う運命にあると思う。

2010年03月14日

「北陸」と「能登」

週末になって、突然のように懐かしい列車がTV画面上で連呼されていた。
ジス・イズ・ザ・ホクリクを表象するかのような「北陸」と「能登」。
上野23:05発・寝台特急「北陸」、そして同じく上野23:33発・夜行急行「能登」。
50年の歴史を持つ両列車が、平成22年3月12日夜でラストランを迎えた。

一部の者のマナーが問題視されている「撮り鉄」と呼ばれるマニア群でごった返す
上野駅の様子が再三画面に映し出された。
そんなに残念なら、もっと利用しとけよっ!!と、マジ切れになりそうになった。
一方で、そうかこれもまた時代の終わりなのか、などと少々感傷的にもなった。

受験のため、大都会・東京の第一歩を踏み出したのは上野駅18番ホームだった。
当時はSLで、煤で薄汚れたままの詰襟学生服の紅顔の美少年(!?)は、
上京にあたり、生き馬の目を抜く大都会は怖い、といったことを何度も言われてきた。
ホントに生き馬の目を抜くのかよ??
冗談だろと疑いつつも、やはり緊張していた。

今は亡き井沢八郎の「あぁ上野駅」が日本の高度成長時代を象徴する楽曲であると
時代を超えて歌われ、上野駅には故郷の匂いがすると言われてきた。
しかし初めて上京してから幾星霜、始発が東京駅になってから、
上野駅に下車することがなくなった。
東京→越後湯沢(上越新幹線)、越後湯沢→富山(L特急)で3時間ちょい。
そんな行程を夜中とは言え、6時間半かかる列車に乗ることは現代では“時間の無駄”。

だが学生時代、上野行夜行急行が豪雪で東京まで16時間超もかかり、
母親が緊急用にと持たせてくれた、大盛りどころか、エベレスト盛りのとろろ昆布を
巻いたデカイおにぎり10個、甘めの卵焼きの三段重ね(多分卵を10個は使ってた)、
好物の牛肉甘辛炒め+奈良漬けが詰まった大き目のパックを列車内で完食したのも、
今となってはなつかしい思い出である。

思い出と言えば、双方の列車には(苦い)思い出が詰まっている。
寝台特急北陸は、A寝台とB寝台に区別されていた。
A寝台とはいわゆるグリーン車で、B寝台は普通車。
当然のようにB寝台を常用していたが、カプセルホテル仕様で、3段ベット×2、
つまりは、ひとつのスペースを6人で使用する形態になっていた。
天井に近い(最上段の)3段目などは、当然にして横にはなれるが、まずは圧迫感と
戦わなければならなかった。
そして当時はスチーム使用の暖房だったから、なぜだかドカン・ドカンと音のする、
安眠妨害の“今考えても不思議な雑音”に悩まされた。
そしてまた異常にのどが渇いた。これも異常な暖房設備のせいだったように思う。
やむを得ず何回か乗ったが、(当時の)国鉄は人間を荷物扱いしてるな!
と思ってからは、極力避けるようにしてきた。

そして夜行急行「能登」。
石川さゆりの大ヒット曲「津軽海峡冬景色」の出だしに出てくる、文字通りの
「上野発の夜行列車」である。確かに“誰もが無口”だった。
これもまた楽ではなかった。
たまたま固い4人掛けの座席に座れても、眠れるはずがなかった。
当時は禁煙ではなかったから、もうもうとした“霞が関”状態の中で、
列車内のあちこちから響き渡る、いびきや歯ぎしりに悩まされた。
本来がそんなに繊細な神経に出来てはいないが、狭い空間のじゃがいも状態に
完璧に翻弄された。とにかく“先に寝た方が勝ち”状態だった。
先に寝れたとしても、起きたら、どこかしこが痛かった。いわゆる寝違え症状である。

年末などの混雑期は、通路に新聞紙を敷いて寝たり、列車上部の荷物置きネットに
寝る“豪傑”もいたりして、現在では考えられない“何でもあり状態”となった。
まんじりともせず、朝を迎えるのが通常のパターンだった。

上野を出て、東京・北の玄関・赤羽を過ぎると、後は真っ暗な空間が続くことになる。
そして踏切を通過する時の警報機のチンチンチンと鳴る音が「北へ帰る」という、
(上京とは逆の意味の)“負けor敗北”という単語を連想させ、何気に寂しくなった。
こんな環境では、ヤル気とかモチベーションを下げる、と思うようになった。
結果的に、上野発・夜行列車は、緊急時でも敢えて避けるようになっていった。

時代が過ぎ、夜行列車、またブルートレイン(通称ブルトレ)に必要以上に過大な
ロマンティックなイメージを膨らませるマニア的流行に、
“あんたら本当に夜行列車の本質を知ってんのか”と反発したりもした。

とは言え、能登も北陸も、それが自分にとって“トラウマ”だったとしても、
自分の人生の中の貴重な1ページには違いない。
またもや昭和が遠くなっていく。
人生って、こんなもんなのでしょうか…


日本国債という爆薬

金融市場では、「(旧)大蔵省はオオカミ少年だ」という声は30年前からあった。
「やがて財政は破綻し、金利は上昇する」。歴代の官僚たちが言い続けた。
しかし危機はやってなかった。
国民は安心し、警告に耳を貸さなくなった。

ここにきて、
鳩山政権の財政規律は読めない、経済成長率や貯蓄率の低下、人口減など、
環境は全て悪い方向に動き出した。
そして「どのくらい凶暴なオオカミが、いつやってくるか」という大きな問題が
真剣に議論され始めている。

財政赤字の拡大から国債の格下げをされたギリシャや、格下げ懸念のあるスペインでは、
海外資本が国債から逃げ出し、長期金利の上昇を招いた。
かたや日本では外貨建ての国債を発行しておらず、
また国債の93%は国内の金融機関や個人が保有する。
従って日本はギリシャのようにはならない、だから安全だ、
というのが一般的な見方である。

ところが海外の投機筋は、日本を“新衰退国”とみなし始めている。
日本を衰退国と見るのが妥当かどうかは別にして、
日本国内だけで日本国債を消化できなくなる日が近づいているのは事実である。

日本の個人の金融資産は、個人の負債を除き1,065兆円(09年10月現在)。
一方で、国と地方の長期財務残高は825兆円で、今後も増え続ける。
家計貯貯蓄率は1990年代には10%を超えていたが、07年には2.2%に下がった。
貯蓄を取り崩して生活費に充てる高齢者の割合が増加したからである。
個人が抱える(住宅ローン等の)負債を勘定に入れれば、
日本国民の資産と日本国の借金がトントンになったとの見方が妥当である。
そして2010年代に入れば、日本国民の個人資産の全部を充てても、
公債を買い切れない事態に陥る。

こうした状況を背景に、市場では、早ければ来年(2011年)から
日本国債の長期金利が上昇し始めるとの見方が台頭している。
現在1.2%台の10年物国債利回りが米国と同様の3.6%台の上昇したとすれば、
利払費は(新規国債を発行しなくても)約12兆円に膨らむ勘定となる。
これは09年度の消費税額9.4兆円を上回る額となる。

今や日本国・借金のGDP比は199%と、今問題になっているギリシャの111%を上回り、
先進国では最悪(世界の第一位はジンバブエ。日本は総合第二位。米国は61位)。
またこの数字は太平洋戦争末期と同水準である。

悲観的材料ばかりに焦点を当て、日本を敢えて悲観的に見るつもりはない。
ただ会計年度末の3月になればあちこちで意味もないような道路工事が始まり、
与えられた予算を使い切ろうとする“百年一日”のスタンスがどうしても解せないでいる。

ギリシャ、ギリシャと騒いではいるが、
「ギリシャは“明日の日本の姿”」である。
もう少し現実的に、冷静に日本の実態を見るべき時期のように思うが…

2010年03月08日

「龍馬伝」という青春ドラマ

ここ1週間の東京の天気は不順過ぎる。
半そで(トレーニング用)短パンで運動をしていても汗ばむ日があるかと思えば、
シトシトした氷雨が降り、12月初旬の初冬のようなうすら寒い日もある。
初春にありがちな三寒四温状態だが、6日(土)・7日(日)の週末が、
その氷雨・シトシト状態だった。

カラッと晴れれば、多少の屈託もすっ飛ばせるが、
シトシト&ジメジメで来られると、ほんと、気分も滅入ってしまう。
こんな時は、ジトッとしたまま、自室に籠って一杯飲るしかない。
3倍返しを狙った義理チョコ(冷蔵庫のチルド室にキッチリ保存)などを取り出し、
缶チューハイや、バランタインのハイボール等をチビチビ飲っておりました。

今の自室は12畳程度の2Kを全て取っ払ってワンルーム形式で使用している。
まず10年も超えてしまうと、タバコのモクモクで、全体が灰色っぽくなってる。
この部屋は天井が高目にできてはいるが、壁には資料や本が天井まで積み上げられ、
洋服ダンスやら、スポーツ用品やら、ついでに遠距離用・チャリが鎮座してたりして、
“けもの道”のような細いスペースを行ったり来たりしている状態。
大地震があったら、一体どうすんだ??

酔って神経が過敏になってくる(!?)と、突然そんな周囲の環境が気になり出す。
あぁ~、なんでオレはこんなにキッタネェ部屋にいるんだ~、なんて…
徹底掃除をする意志もなく、そんなジメジメした日は“トホホの状態”であります。

前置きが長くなってしまったが、さて本題。
日曜日午後8:00の、通称「NHK大河ドラマ」。
今年は司馬遼太郎シリーズに則った「坂の上の雲」に続く「龍馬伝」。
「坂の上の雲」が史実に沿った正統派・ノンフィクション・ドラマとすれば、
「龍馬伝」は、主人公の坂本龍馬の人物像をより浮き立たせるためか、
女優陣も目立つ、いうところの“フジ・月9”バージョンに仕上がってる。

土佐では平井加尾、江戸では千葉佐那。
遠距離恋愛のせい(!?)か、涙ポロポロのシーンが多い。
携帯などは夢のまた夢の時代。土佐・江戸間が徒歩・30日間が普通の時代。
シナリオ的には致し方ないとは思うが、司馬遼太郎の原作は、
もちっとサラッとしていたはず。

青雲の志を持った希代の英雄には女性が付き物。
ただ、平井加尾役の広末涼子や、千葉の小天狗・千葉佐那役の貫地谷しほりには
存在感あり過ぎ。
第二部には、お龍役で真木ようこ、長崎・出島の愛人役で蒼井優が出演予定とあって、
この先のストーリ(orシナリオ)が読め始めた。
要は今回の大河ドラマは、若い女性をも狙った青春ドラマ仕立てなのであります。

とは言え、岩崎弥太郎を演じる香川照之が秀逸。
照明を抑え、しかも青や茶のフィルターもかけるから、役者連の顔が浅黒く映ってる。
それが、ツバを飛ばしまくり、喚きまくる香川照之の怪演に拍車をかける格好と
なっている。
彼は「坂の上の雲」でも俳人・正岡子規役で登場。
東大出の異色俳優は乗りに乗ってる。

また武市半平太役の大森南朋も相変わらずの“冷め具合”で、とってもよい。
彼は同じNHKの経済物・連続ドラマ「ハゲタカ」でその存在感を示したが、
今回の黒船来航・尊王攘夷・下級武士、といったテーマの中で、同様の存在感を
キッチリ見せてる。

主人公・坂本龍馬役の福山雅治は、まんまの“ふくやま”。
木村拓哉をイメージして作られたと言われるシナリオに、何らの違和感なく
溶け込んでおります。
しかし坂本龍馬って、あんなソフトタッチのハンサム顔をしてたんだろうか…

とにもかくにも、最近の民放のドラマがジャニーズ系中心の薄っぺらいものが多い中、
確かに重厚に仕上がっております。
地上波の日曜日・午後8時から見て、同日曜日のBS1で午後10時から見て、
その週の土曜日の午後1:05分から見て、って都合三回は見ることになりそうです。

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